ジャズの曲

梅雨入りと聞いたように思ったけど、よく晴れて暑くなってきましたね。

昨日は久しぶりに空が明るくなるまで夜更かししたので、今日は少しお寝坊してみたら、ベランダのバジルさんがしおれた姿で待っていた。自分ばかりごくごく水を飲んでぐうぐうと寝て、ごめんよ。。。

朝焼けの中、あれはなんていう鳥だったんだろう、スズメとか鳩とかその辺でよく見る鳥よりずいぶん体の大きい鳥が、翼をゆうゆうと上下させ、ピンク色がかった空をすーっと、思わず見とれてしまうほど美しい線を描いて向こうへ飛んで行くのが見えた。たった数秒の出来事。

 

 

今月は久しぶりにジャズを歌う機会が多い。

どんな曲をやろうかなあ、とレパートリーの中から久しぶりにいろいろ取り出して、ピアノに座って歌ってみたりしている。

おとといも、6/25(土)にある、ピアニストの佐々木ゆりちゃんとのデュオライブのリハがあり、

選曲からしましょう、とのことだったので、手持ちのレパートリーの中から、ゆりちゃんとデュオで演奏するのに合いそうな曲をいくつか見つくろって出かけた。

その結果。なんとなんと。

新曲たくさんになりました!!!

しかも。実はちょっとチャレンジングな曲がたくさん。

「えりさん、この曲とか歌いますか〜?」

とゆりちゃんに聞かれる曲が、どれもこれも昔からいいなあと思っていた曲、かつ、いつか歌ってみたいと思っていた曲。

もし私一人で選曲していたら、とてもではないが、選ばなかっただろうなあ。。だって、どれもすごく美しい曲なんだけど、すごく難しい。

でも、二人ともこんなに好きなのだからやってみよう!と、二人だと思えるんですね。

 

というわけで、ピアノに座って、メロディーとコードを弾いてひたすら練習の毎日です。

素晴らしい曲って、あまりに美しい曲なので、メロディとコードを弾いているだけで涙が出そうになって、練習しているのか感動しているのか区別がつかない状態。こんな曲を書いた人がいるなんてすごいことだ。。。

 

と一人部屋で感動しているのもなんなので。

ちょっとネタばらしになりますが、こんな曲も (^^)

 

Blossom Dearie の歌った Lush Life。Billy Strayhorn による作詞・作曲。

1979年のライブバージョンだそうなので、Blossom が55歳の時の演奏だ。

演奏を始める前の曲紹介のところで、「この曲を演奏するのはとても難しく、歌うのはもっともっと難しい。私はこの曲を学ぶのに11年かかった」と言っていて、

そのトークに続く演奏(弾き語り)は、素晴らしいの一言。。。

 

Billy Strayhorn の曲はとても好きで色々歌うけど、この曲はなんとなく、自分にはまだ早いのではと思い続けて歌ったことがなかった。

Strayhorn がまだ18から23くらいの頃に書いた曲。とても信じられないけど。

人生のとてもさびしい部分が、できればそんなさびしい部分が自分の人生にあるなんて思い出したくもないような、そんな触れたくないほどの寂しさが、音楽になっている。泣いてしまうほど美しい曲と、やっぱり悲しく寂しい歌詞に。

 

Lush Life、いろんな人が歌うのをライブで聴いたことがあるが、中でも忘れられないのは Annie Ross が歌っているのを聴いた時のこと。つい数年前、NYにいた頃だ。

歌手にもいろんなタイプがあるけれど、彼女は、まさに楽器のように声を使えた人で、コロラトゥーラみたいな高く張りのある声でトランペットのソロをそのまま歌にして小気味良く歌っていたりしたが、私が彼女のライブを聴きに行った時、彼女ももう80歳を過ぎ、その姿はスターの輝きを失わず強く美しい光を放っていたけれど、あの、小鳥のように何でも歌えそうだった声は、残酷な様子で変わり果てていた。でもその変わり果てた声で彼女が歌う歌の説得力の凄まじさは、脳裏に焼き付いて離れない。歌詞のことや細かい演奏のことのいちいちは思い出せないが、彼女の声や音楽や、あのステージの光を介して私に入ってきた何か圧倒的なものが、あのライブを聴きに行ってから数年経った今も、心の奥で響いている。

 

それほどの曲を、今の私にできる限りを尽くして歌えるというのは、ジャズを歌っていて良かったと思うことの一つだ。

そういう気持ちになる時、不思議に思われるかもしれないが、表現したい、という気持ちが私にはあんまりない。その曲の美しさや、悲しさや、そういうものが、私を通って、私の吐く息と一緒に外へ出ていけるように、私はなるべく空っぽで、何も余計な邪魔をせず、ただ鳴るだけでいたいな、と思う。

さて、そのための練習にそろそろ戻らねば ^^