月と夏みかん

帰り道、電線のない空を見上げていたら、海を眺めているような気持ちになった。

数日ぶりに雨が上がって、砂浜には、いつものきれいな貝殻のかわりに、年輪を持ったきれいな丸い石ころがたくさん転がっていた。

夕方くらい、海はぬらぬらしていた。今日の空は海より青かった。

海も空も青くても、空気がにじんでいる日、どこまでが空でどこまでが海なのか、じっと見てもわからない。夜も。どこまでが闇で、どこまでが海で、どこからが砂浜で、

でもどんな澄みわたった朝でも、どこまでが海で、どこから空で、どこからどこまでが私かなんて、向こうではわからないだろう。

 

最近、絵と呼べるかわからないけど、点や線を描いている。描いている間、なるべく一度も紙を見ないようにしている。

決して紙を見ないで、手元も見ないで、自分が今どんなものを描いてるか確認したくなっても決してしないで、自分が今この瞬間鉛筆で描いてる「その場所」からひと時も目をはなさずに、鉛筆も紙の上から離さずに、一瞬一瞬、目に見えているままに鉛筆を動かしていく、

というのを数年前に教わったのをふと思い出して、ここ数日、日記代わりに家にあるものをそのやり方で描いたりしている。

今朝はテーブルの上にあった夏みかんと目が合ったような気がしたので、今日はこのひとかな、という感じで描き始めていったら、ものすごく、どきどきした。

昨日までは、観葉植物とか、出しっぱなしのコップとかを描いてたんだけど、夏みかんは全然ちがった。

夏みかんの輪郭を目で追いながら、自分の手で紙の上に鉛筆で線を引いて、私はひりひりする思いだった。

丸く、後で自分が描いたのを見たら丸がつながってなかったけど、夏みかんのような丸い形に、私はこの夏みかんを空間から切り取って、ヘタの取れた跡を描いて、次に夏みかんの傷が目に入った。鉛筆を持つ手に少し力を入れて紙の上に傷を引いて、でもよく見ると、傷は鋭い線状の痕ではなく、痕と、痕にさす影の両方だった。

 

昼間、海の上の空に浮かぶ半月の写真を撮った。

 

その月を今こうして思い出しているのに、なんでか、ずっと住んでいた東京の空で見た月のことを考えている。