仕方のない私、アカリノートさん

9月もいろんなことがあって、久しぶりに自分の扉がいくつか開いたと感じた。

 

23日、新高円寺のSTAX FREDというライブハウスで、

アカリノートさんという信念を持って音楽していて尊敬してる「歌うたい」主催のイベントに呼んでもらって歌ってきました。

すごくいい夜だった。出演してた、さのめいみ。さん、小嶋麻起さん、アカリノートさん、クラモトキョウコさん、みんな真摯に自分の音楽してる姿があってとても感動した。みんなの佇まいもはっきり覚えてる。オーナーの中村さんも。

みんなあの晩そういう歌を歌えたのは、やっぱりひとえにアカリさんのこのイベントへの思いがこもっていて、見えない準備をすごーくしてたからだなあー、と、本当にしみじみ思った。

 

ライブの写真をお客さんにいただいたのですが、どなたかわからず。

まじめに歌ってる写真をブログに載せるのあんまり好きではないんだけど(恥ずかしいのよ)

この写真に関しては、あの夜自分が歌ってて、その時見えた風景と重なるものがある、というか、

私があの時見てた景色とは全く違うのに、同じ気配のようなものが向こうに広がっていて、

アカリさんからライブ翌日に写真を渡されて、ハッとしてしまった。

撮ってくださった方、どうもありがとうございます。きっといつか声をかけてください。

 

さて、アカリさんのなさったライブじゃ見えない準備のひとつ、打ち合わせの話。

とっても久しぶりに誰かに自分の話をすることになった。アカリさんと二人で打ち合わせとはそういうことだった。雨の日の昼間、登戸の駅前の安い美味しい中華屋さんで。

私は歌い始めたのがミュージシャンとしては遅い方なので、いつも、特に自分より若いミュージシャンには、無条件でひれ伏すくらい尊敬しか感じない。

だって、私はそれができるのに30年以上もかかってしまった。

だって、ジミヘンだったら、あれだけのことをやって、死んで、もう何度も何度も追悼されてるという頃、

私はまだ、なんと、歌を、はじめてさえ!いないんだ。才能の差ってこういうことなんだと、もう雨の中泥道を転がって這いつくばってたいような気持ちだ。

 

今になって思い返せば、どうひっくり返って考えても、私は小さい時から音楽に対して圧倒的に虜になっていた。

音楽に虜にされ方を知っていたし、見事なまでに虜にされた結果として自分そのものが音楽になって、それを人前で表現するということに対して何のためらいもなかった。

歌であれ、ピアノであれ、エレクトーンであれ、子どもの歌だろうが、氷雨だろうが空港だろうが、アミ族の歌だろうがチェルニーだろうがヤマハの練習曲だろうが。

曲も作ってたし、まだ楽譜書けなかった頃もパーマンのはんこセットを駆使して自分なりの譜面を作って、歌詞も書いてたし、

あーーーーんなにあんなに、今してることは全て最初から当たり前のことだったのに、

「今まで一体何をしておったんだ?私は??」

という話を、アカリさんの、

「えりさん、一回しかお会いしたことないからどんな方なのかなって思って」

みたいな感じのところから、

自分の選んできた謎だらけのどえらい回り道の連続を、たどっては白状し続けることになって、我ながら自分に呆れた。

 

あの打ち合わせがあって、そしてリハでみんなの演奏聴いて、ああもうこれは私どう隠しても仕方ない、行こう、っていう気持ちで歌えました。

私は私でしかないんだもんね。

アカリさん、本当にありがとう。これからも歌います。