ブラザー

一度もブログを書かないまま、八月最後の日。

やさいの日、なんだって。こういう語呂合わせは好き。

大切な方からいただいたかぼちゃ、煮物にしてパクパク食べてます。

 

誰にも頼まれてないけど、ひと月以上もここを空けてしまって、

何をしていたかと言えば、母がしばらく台湾から来ていたので、仕事の合間はたっぷり娘をして過ごした。

 

母が台湾に戻って、もう10数年経つのか。

母は特に最近、みちがえるほど元気になったし、

この人ってこんな人だったのか、と思うほど、

日本でずっと専業主婦して押しつぶされてしまった母の本来が、ワハハハ(駄洒落になっちゃった)と大復活を遂げている。

 

母と一度だけ海へ歩いて散歩した。

旧暦8月、日本でもお盆だけど、台湾など中国語世界では「鬼月」。

鬼=いわゆる幽霊たちが、あちらの世界からこちらの世界に1ヶ月間、

夏休みをしに来る月だ。

直接「鬼」と呼んじゃあんまりだから、台湾では「好兄弟」=ナイスなブラザー達とも呼んでいる。

なんとも台湾らしいリスペクトの仕方で、私も、鬼よりブラザーと呼ぶ方が好き。

 

冥界ブラザー達は、当然、夏だから海にも遊びに来ているので、「海行こうよ」と何度母に言っても反応がにぶかったが、

ある日、川沿いを散歩してると見せかけて、そのまま河口から浜辺へと連れ出した。

ブラザー達はいたんだろうか。

とても波が大きくて、風が強くて、でもやっぱり海辺にいるだけですーっと気持ちがほぐれて、結局母は私よりはしゃぎ、自撮りに励んでいた。

もし来てたんだったら、ブラザー、生きてる間、遊べなかったぶん、たっぷり遊んでいってほしいな。

月とカラス

ちょっとご無沙汰しております。

昼も夜も虫や微生物の世界が豊かで、しばらくそういうものに夢中になっていました。

 

そしてしばらく経ったからやっと人に言えるようなおそろしい思いをした夜があった。

おそろしいと言っても、誰かが傷つけられたり損なわれたりするような、あってはならない怒るべき出来事ではなくて、

ただ私が夜中にひとり、体験したことのないおそれの只中にどういうわけかいて、

必死の思いでふんばり続け(体勢としてはベッドで寝てるだけだけど)

やっと、カラスが鳴いて、ああ、朝がきたんだ、

とほっとした、

という個人的な事件があったのだ。

ほっとはしたけど、とても眠れるような気分じゃなかったので、窓の外を見たら、

夜の間じゅう私が思い描いてたおそろしい世界の痕跡すらどこにもなくて、

明け方の空にぴかーーんと月が光り輝いていた。

 

カラスも他の鳥たちも、よく神の使いと聞くけれど、どんな夜も、鳥が鳴いて、明けて、朝が来て終わっていくのかと思ったら、なるほど神の使いだと思った。

月はあんなに輝いていたのに、朝が始まって進んでいくに連れ、透明になって消えてしまった。

 

それはさておき、最近、はじめてカラスをかわいいなあと思っている。

海でボーッとしてると、ふと気づくと、横でカラスも海の方を見てボーッとしたりしている。

風が強いからか、カラスも頭がちょっとぼさぼさになってて、

東京ではカラスも緊張度が高い感じだったし、まさかカラスが、ぼさぼさ頭で一緒に並んでボーッとする相手になるとは思ってもなかった。

 

今日は大きな黒いちょうちょ、下の方に少しだけオレンジが付いた、ゆっくり飛ぶ黒い大きなちょうちょ2匹に出会った。

ちょうちょが美しくて、カラスがかわいくて、夜がおそろしくて、ダンゴムシが足の間を通って、カラスが鳴いて、雲が泳いで、月が光って、月が消えて、

そういう中に私が歌うことも入っていればいいなあと思う。

月と夏みかん

帰り道、電線のない空を見上げていたら、海を眺めているような気持ちになった。

数日ぶりに雨が上がって、砂浜には、いつものきれいな貝殻のかわりに、年輪を持ったきれいな丸い石ころがたくさん転がっていた。

夕方くらい、海はぬらぬらしていた。今日の空は海より青かった。

海も空も青くても、空気がにじんでいる日、どこまでが空でどこまでが海なのか、じっと見てもわからない。夜も。どこまでが闇で、どこまでが海で、どこからが砂浜で、

でもどんな澄みわたった朝でも、どこまでが海で、どこから空で、どこからどこまでが私かなんて、向こうではわからないだろう。

 

最近、絵と呼べるかわからないけど、点や線を描いている。描いている間、なるべく一度も紙を見ないようにしている。

決して紙を見ないで、手元も見ないで、自分が今どんなものを描いてるか確認したくなっても決してしないで、自分が今この瞬間鉛筆で描いてる「その場所」からひと時も目をはなさずに、鉛筆も紙の上から離さずに、一瞬一瞬、目に見えているままに鉛筆を動かしていく、

というのを数年前に教わったのをふと思い出して、ここ数日、日記代わりに家にあるものをそのやり方で描いたりしている。

今朝はテーブルの上にあった夏みかんと目が合ったような気がしたので、今日はこのひとかな、という感じで描き始めていったら、ものすごく、どきどきした。

昨日までは、観葉植物とか、出しっぱなしのコップとかを描いてたんだけど、夏みかんは全然ちがった。

夏みかんの輪郭を目で追いながら、自分の手で紙の上に鉛筆で線を引いて、私はひりひりする思いだった。

丸く、後で自分が描いたのを見たら丸がつながってなかったけど、夏みかんのような丸い形に、私はこの夏みかんを空間から切り取って、ヘタの取れた跡を描いて、次に夏みかんの傷が目に入った。鉛筆を持つ手に少し力を入れて紙の上に傷を引いて、でもよく見ると、傷は鋭い線状の痕ではなく、痕と、痕にさす影の両方だった。

 

昼間、海の上の空に浮かぶ半月の写真を撮った。

その月を今こうして思い出しているのに、なんでか、ずっと住んでいた東京の空で見た月のことを考えている。

歌は不思議

お昼寝のはずが思ったより本格的に寝てしまい、用事を済ませなくちゃと慌ててとにかく家を出たが、外に出てみたら、やっぱりどうしても足が向いて、買い物かばんを持ったまんま、海の方へ歩いた。

急いで歩いていたせいか、途中から息がつまりそうに湿気を感じた。梅雨入りしてたんだった。

今日みたいに湿気の中を歩いていると、台湾のことを思い出す。

 

昨日はほぼ1ヶ月ぶりにトリオでのライブだった。

ちょうどライブ前日、みんなの予定がようやく合って、私の家で長いリハをしたところだった。

といっても、実際にリハらしきことはほとんどせず(心がつぶれそうに素晴らしいジョビンの曲をみんなで少し練習した以外)珍しく、昼間から遅い時間まで3人でいろんなことを話した。

時々「その3人って、演奏以外の時どんな話したりするんですか?」と聞かれることがある。

うーん、と返事に困ってしまうほど大して話らしい話をしたことはないんだけど、一昨日は我々にしては珍しく話し込んだ。素面で。

どうでもいいことから、大事に思っていることまで。

こんなにこの二人と話ができるとは今の今まで知らなかったし、別に誰かと話したいような気分でもなかったし、不思議だなあと思った。

自宅リハの時はご飯を出すのが好きで、アメリカでも日本でもどこの家に住んでもそうしていて、

特に今はちょっと遠くに住んでるし、みんなわざわざ来てくれるのがうれしいから、ちょっと美味しいものを用意していた。

 

そういう時間も、演奏に現れるものなのかも、と、昨日のライブが終わって思った。

二人はわからないけど、私は明らかに、今までよりこの二人のことを信頼してるんだなあと思える歌を歌っていた。

自分でも、へえ、私の中に、こういう歌があったのか、と少し驚くような歌が、出てきた。

 

歌は本当に不思議だ。

自分自身聴いたことのない歌が、私自身の中から、思ってもみないタイミングで出てくる。

あふれ流れてくるような時もあれば、乾ききった絞りカスが転がり出てくるような時もあれば、誰かが私の声を通して出てきて慰めてくれてるような時もあれば、

でもどれも私の歌ううたなのだ。すごく不思議だ。

そして、歌を聴きに人々が集まるという行為も、とても不思議だ。

こんな不思議なことを当たり前のようにする人たちが、私含め、世界中にいるなんて、そんな特別なことがまだこの世の中にあるんだ。

 

昨日もそういう場に居合わせてくれた人たちがいてよかった。

また三人でツアーに出て、毎日毎日一緒に演奏したいなあ。

 

流れ落つ玉ねぎ一つ。

ご無沙汰してしまいました。

ここにつらつら書くのが自分には良いと思って楽しくやってたはずが、バタバタしてる間に遠のいてしまった。ただいま。

 

ちょっと前に窓から山や畑が見えるところに引っ越して、

空も広くて、鳥が飛んで、夜は暗くて、月が綺麗で、

毎日がミラクルのよう。毎日はそもそもミラクルなんだったね。

風は気持ちいいし、風の匂いは朝と夕方で違うし、

ちょっと疲れてバタリと倒れていても、風を感じて、倒れながらとてもいい気分になる。

毎日そんな感じで過ごしていて、ここに似た場所を知ってるな、と思って、

それはアフリカだった。全く遠いし、あんまり同意してくれる人はいないかも知れないけど。

 

新しい生活(通勤時間が長〜い!)にまだ慣れきれずにおりますが、

とりあえず電車で爆睡しながらなんとか元気にやっています。

とにかく毎日が遠足なので、NY時代いつも使ってた水筒を復活させてみました。

出かける準備にお茶を淹れるのも楽しいよ。

生活の手順がちょっと変わるだけでなんとなくウキウキする。

 

以上、ちょっとご無沙汰してしまったので、近況報告でした。

山積みになっている仕事(歌以外の仕事をうっかり引き受けてしまって大変なことに)をこなしてきまーす。

早く終わらせて、早く歌のことばかり、音楽のことばかりになりたい。

じゃないとなんだかじんましんが出てしまうんだなあ。いのちみじかしなのだよ。

身体ていしちに

5月。近所の一番好きな場所。

そういえば4年前日本に久しぶりにちょっと帰った時も5月。日本の新緑の緑色がこんな色だったんだ、と感動したんだった。花咲く春も好きだけど、この新緑の時期が一番心がのびのびとする。タンポポだって綿毛になって飛んでいくんだ。

 

昨日は永武幹子ちゃんとデュオ。はじめてお会いする方も見えてちょっと緊張したけど、自分で立てた小さい目標=小さなお祭ができて嬉しかった。一緒に考えてくれて心から最高のものにしてくれた幹子ちゃん、私の気持ちと一緒になって踊って歌って掛け声かけてくれた皆さん、本当にありがとう。

ライブについては毎回考えることがいろいろあるけど、昨日は改めて、共演者やお客さん達から私いただくもの(そういえば素晴らしい差し入れやお心遣い、たくさんいただいたのでした!ありがとうございました・・!)の大きさを感じた。私も今よりもっともっと大きなものをいつもお返しできるような人になりたいと思いながら帰った。

本当にありがとうございました。

 

ちょっと前Youtubeで喜納昌吉さんとお父さんの喜納昌永さんが二人で歌う『てぃんさぐぬ花』に感動して、感動してすぐに喜納さんのホームページに行ってみたら喜納さんがあんまりにもすごい人だったのでびっくりして、そうしたらちょうどライブがあるというので生で素晴らしい歌とギターと三線を聴くことまでできた。

変なおじさんがハイサイおじさんの替え歌だったことも知らなくて、変なおじさんの元の人、ハイサイおじさんの人、が花の人だったのも三線教室に来るまで全然知らなくて、しかもハイサイおじさんがこんなにもものすごい歌で、ハイサイおじさんの人がこんなにもものすごい人だったなんて全然知らなくて、

ここのところ毎日そのことを考え直しては驚きと尊敬の波がくり返し心の中にやってきて、そして最後に心の奥の湖が深く静まり返るような状態でいる。

そんなこんなで今は、私も自分のライブにもう少しお祭り的な要素を入れてみようと思ってるんだけど、昨日はそう思い立ってから最初のライブだったし、お祭り的要素どころかすごいダイレクトに試してみた。

結果!私自身がとにかく楽しくなってしまった!

この私の楽しい気持ちから第一歩が始まって、ライブを重ねるごとにみんなで共有できるものにどんどん育っていくのを楽しみとしよう。。

 

ところで最近その日のライブのセットリストを決める時にするようになった新しい習慣で、朝起きてふんふんと鼻歌の出てきた歌を必ず歌うようにしている。

よく覚えていない曲が出てきてしまったら、ライブの時間までになんとかアレンジを考えつつ譜面を書いて頑張って覚える。

いつも無意識に朝から鼻歌だったり起床一発わりとしっかり歌い出したりしているのだが、こんなわけで、そういう無意識な歌をちょっと気をつけて自分で聴くようにしている。

 

今日はライブのない日だけど、朝ベッドから立ち上がった瞬間、ついこの間習った登川先生のフィナレー(別れ)という曲が出てきた。

いい曲だなあと思いながら練習してたけど、まだ覚えきれてないと思っていたので、もう鼻歌になって朝一番に登場したことにちょっとびっくりした。

そういえば昨日の夜は、勧められたYoutubeを見ていて、最初は後ろ姿しかうつっていなかったドラマーの後ろ姿がなんとなく友人に似てるなあと思ってたら、

中盤からそのドラマーの正面が映り、やっぱりそのドラマーは友人だった。彼は少し前に病気で亡くなった。

彼の演奏をちゃんと聴いたのは実は昨日のYoutubeがはじめてで、1時間強のライブだったんだけど、バンドメンバー全員すごくて、彼もすごかった。

東京でふらふらしてて暇だけが取り柄だった当時の私が、こんな人と「ただ友達になった」って、そんなことってあるんだ、と今更びっくりした。

今ミュージシャンしてる自分から考えたら、キャリアも活動の場もまさに雲泥の差の人とただの友達だとか、夢のまた夢のような寝言のような話で、我ながら信じられない話だ。

そして思いがけず今頃Macのスクリーン越しにその友達と出会い直して、今私が見ている目の前で生命力が飛び出してくるみたいに彼はドラムを叩いてるけど、

この人は今ここの私がいる現実の世界にはいないのかと思うと、なんともいえず不思議な思いになった。

 

ライブはないけど、今日は一人でフィナレーを歌った。

なんでかわからないけど、もう死んでしまった友人なのに、「身体ていしちに」という歌詞を私は彼に歌いかけていた。

体たいせつに。また会える日まで。

ロマンチック

去年の今頃は台湾に帰ってたらしい。これは夕暮れ時の淡水。

遠くから見ると、ベンチがまるで川に浮かぶボートのようで、とてもロマンチックに見えた。近寄ってみれば、ロマンチックなカップルより、友達同士だったりおじちゃんおばちゃん四方山話グループが多かったりするんだけど、でもそもそも夕暮れ時に人々が少し涼しい水辺に集まっておしゃべりすること自体とてもロマンチックなんだから、それに気付かせてくれてありがとう、ベンチ。ベンチを作ってくれた人、置いてくれた人。

今この写真を見てると、アフリカのサファリで、ちょうど空がこんな色になる頃、キリンやサイや、スプリングボックや、シマウマや、いろんな動物たちがジャンル(?)を超えて水辺に集まっていたのを思い出す。

 

昨日はやっとちょっと落ち着いて三線教室へ行くことができた。

先生と一緒に歌うのがすごく好きだ。私ももっと生徒さん達と一緒に歌おう。

登川先生の曲二曲と、お祝い事に歌う歌を習った。

この間地図を見て八重山があんなにも宜蘭から近いことを知ってから、八重山の歌も気になるなあと心ひそかに思ってたんだけど、たまたま先生が「あなた次はこれやったらいいよ」と歌い出した曲が八重山の曲だった。

 

そういえば以前ライブでご一緒した方が、リハ中に一人で私が安里屋ゆんた歌ってるのを聴いて「堂々としてていいね、声が八重山の方の人みたいだね」とおっしゃった。

その時は八重山がどんなところか全くわかってなくて、へーと思うくらいだったが、

大工哲弘さんのインタビューを読んでいたら、八重山の歌、特にゆんたは外で農作業しながら延々とコール&レスポンスだから、とにかくすごい声を出して歌うらしいのだ。

それに対して沖縄本島の歌は、いわゆるお座敷での歌、大工さんは「四畳半歌」と言ってたけど、基本室内で歌うのでちょっと裏声になったする。

沖縄の歌を改めて聴くようになって、女の人がみんな細く細く紡ぐような声なので、これはなんでかなあとずっと思っていたけど、これはなるほど。

音楽に関して私の場合どんなものにもタイヤルの子ども(laqi tayal)な自分が大きく参加してて、そんなわけで、沖縄の歌は親近感を持ちながらも時々違和感も感じていた。

違和感へのひとまずの対処法として、みんなで歌う時は調和を、自分一人の時は「味付け」と先生も言ってたし原住民風もまたよしとしてたけど、

八重山の歌というが沖縄本島の歌と台湾原住民の歌の間にあったというのが、今日の私の発見。

アミの歌になんとなく近いものを感じてたのは、ゆんた的なものだったんだね。アミもコール&レスポンス多いし、とにかくみんな大きな声で歌う。

この間沖縄(本島)に行った時、台湾と一番違うのはやっぱりあの圧倒的な山々があるかどうかだな、と思って、

また面白かったのが、八重山の方は、本島と比べて山や川が多く、歌も自然の素晴らしさを歌ったものなんかがたくさんあるらしい。

 

いやあまだまだ知らないことがいっぱい。行ってみたいところも、歌ってみたい歌も。

大工さんも台湾の原住民の歌を聴いた時、やっぱりゆんたに似ていると思ったらしい。おもしろいね。

 

この日曜日は先生と教室のみんなと老人ホームへ歌いに行く。

歌手という仕事ができて本当によかったけど、今の私は主にミュージックチャージをとるお店で歌うことが演奏活動のメインになっていて、

これからはそれ以外の場所で、いわゆるライブと違う形で歌ってみたいと思っていた。三線と沖縄の歌のおかげでお祭りや老人ホームで歌えてうれしい。

下町フォーエバー

友達のお家の玄関のすき間からかわいい花。

ここのおうちには本当にお世話になって、

私を招いてくれて、おいしいご飯をふるまってくれて、

そこから朝の7時まで、一緒にいろいろ音楽の届け方を考えてくれて、

出かける前にちょっと仮眠できるよう、あたたかいお布団まで敷いてくれた。

ありがとうスイートゆみちゃん。

 

あの日たっぷりサポートしてもらったおかげで、すっかり力をもらって、

自分の家に帰って3日間、はじめて自分で、音楽の届け方について真剣に考えて、なんとか企画をまとめることができた。

もちろん曲のアレンジや演奏の中での音楽の届け方というのは今までずっと考えてきていることだけど、

その音楽を演奏する場について、同じくらい真剣に考えたことはなかった。

よく考えたら、その空間の空気を振動させていくわけだから「場」も音楽のうち、

そういうこと考えるの好きだったみたい。

 

しかし下町は、というか、墨田区のあのエリアいいなあ〜。

あの辺りは唯一空襲で焼け残ったエリアらしく、昔の家々が残っているからこそ、そこでの暮らし方、人との付き合い方ごと今も残っているみたい。

台北によくいる(NYにもいた)タイプの世話焼きおじさんおばさん的人々、あのあたりに行けばたくさんいるらしい。

そうやって考えると、東京、やっぱり焼け野原になってズタズタになったんだなあ。街も、街が持ってた人の交わりも、素直な動きも。

NYだって台北だって大都市だけど、東京と比べるとやっぱり、ごく自然に人と人が交わる風景がある。

あっと思ったら「あっ」とそのまま声に出るくらいの感じで、ただちょっと吹いてきた風くらいの感じで「その靴いいね、どこで買った?」とか、

そんな会話をすれ違う人とさっと交わして、たださっと通り過ぎて行く、たったそれだけのことなんだけど、

そういう感じが東京ではほぼ全くなく、たったそれがないせいで日々なんとなく、日々ほんの少しずつ、私は消耗している気がする。

 

というわけで、ゆみちゃん家に行くのもライブであのあたりに行くのもすごい好き。

実際その日も、夜中2時過ぎくらいに、歯ブラシやらお菓子やら買いにコンビニに行こうと思って玄関開けたら、

ゆみちゃんの家の前で、ものすごく苦しそうにしている若い女性が一人。

「今から産みに行くところなんです」

と。

私がのこのこブーツを履いている間、ゆみちゃんはささっと側に行って、腰をさすってあげて、しっかり彼女を病院へ送り出していた。

リスペクトゆみちゃん。

私もいつかそれくらいになりたい。

歌と踊りと格闘技

今日は朝から Kendrick Lamar ピュリッツァー賞受賞と Beyoncé の Coachella のパフォーマンスでとても力強く前向きな気持ちになった。

コミュニティの持ついろいろを背負って、自分の才能を犠牲にすることなく、心身を保ち、音楽ビジネスの巨大な力を使いこなし、自分自身もコミュニティも跳ね上がらせることができるって、あまりにすごいことすぎて、まるで嵐に次ぐ嵐の中、たくさんの船が連なる先頭で豪華客船と海賊船を二隻同時に操縦し、さらに雲間に太陽を呼び寄せ、大海原に虹をかけて進み続ける船長みたい。

ものすごい人たちだよ、本当に。

ビヨンセでよく友達と踊りまくったなー。

そして流行してる音楽が空間に流れる時の魔法的力ってやっぱりあるなと思った。

最近自分が触れていなかっただけだね。

 

踊りといえば、なんとなく三線始めてみて思わぬ喜びだったのは、

人を踊らせたり、場合によっては自分も踊る仕事が、歌うのと三線弾くのと同じくらい大事な仕事だったこと。

Barry Harris がクラスでいつだったか「ジャズの間違いはダンスを切り離してしまったことだ」と言ってて、そのことが頭にずっと残っている。

 

こないだの日曜は三線の合同稽古で来月のはいさいフェスタ(沖縄のイベントとして沖縄県外で最大だとのこと)に向けて練習していて、

はじめて宮古の曲の踊りを習った。みんなで踊るのはやっぱり楽しい。

大きくジャンプするところとか、なんとなく我々台湾原住民の踊りを思い出したりして、

そういえば、宮古ってどこにあるんだっけ、と地図を改めて見てみた。

こんな距離感だったとは。

直線距離で宜蘭から与那国って、与那国から石垣と同じくらい。

台北から屏東、台北から宮古、名護から宮古がどれも同じくらい。

近いとは知ってたけど、今日はなんだかとってもびっくりして、しばらくGoogle Mapを大きくしたり小さくしたりしていた。

琉球弧という言葉も改めて気になってちょっと調べたら、弧の長さ、九州から台湾の間までがちょうど本州くらい。

地図って面白いな。

生まれてはじめて台湾が大きい島だと思った。たぶんはじめて沖縄の島を基準にする気持ちで地図を眺めたから。

そんなこと思って見てたら、台湾が、よく駅ビルで計り売りしてる、あの大きいお芋の中身をくりぬいて作ったずっしり重いスイートポテトに見えた。

 

ケンドリックとビヨンセからもらったもうひとつの大事な気持ちは、格闘技をまた始めたい気持ち。

なんでかわかんないけど、格闘技する私と早弾きで歌う私は何となくリンクしてて、そこに行きたい。打楽器な私もたぶんそのへんにいる。

この間ライブに来てくれた三線教室の同い年友人かつ三線大先輩に、私の三線弾いてもらったら、同じ楽器?ってくらいまろやかないい音がして、

Youtubeでいろんな人の弾き方を見てた。

今日見た中で自分に一番そっくりな弾き方だったのは、カメラをチラリとも見ずフルパワーノンストップで延々演奏するずいぶん恰幅のよい小学生男子で、

ちょっと笑ってしまいつつも納得。そばでずっとおじいちゃんらしき方が見守っていた。

ああいう子ども、私の中に確かにいるな。

ムラマツ

ライブはじめいろいろ楽しいことがあったのですが写真を撮っていなかったので、昔撮った母の故郷・宜蘭の山の写真でも。

この緑を見てるだけで心が少し吸われていく。

これはおばあちゃんが亡くなった5年前の夏。

おばあちゃんがいなくなって、休みができたら山に帰ろうという気持ちがずいぶん薄くなってしまった。

 

母のいとこ、私のおばあちゃんにとっては姪っ子、が長く入院していたのだが、先日自宅に戻り、やっと私のアルバムを聴いてくれたそうだ。

70代後半の人があのアルバム聴いてどう思うかな、と少しどきどきしたけど、アイー(おばさん)は、

「えりの声がえりのおばあちゃんの若い時の歌ってる声にそっくりで、涙が止まらなかった」

と言った。

おばあちゃんの歌をよく聴いて育ったけど、まさかそんなことを言われるとは思いもしなかった。

台湾原住民の曲、あと私の作ったナルワントと歌いまくるオリジナル曲は特に、とっても懐かしく「ムラマツ」だと言われた。

別のアイーも先日、「妳的歌聲,不知道國語怎麼講,就是ムラマツ」

とバスの中から電話で私に伝え、舌打ちをした。

台湾の舌打ちにはいろんな意味がある。うまく言葉にできない気持ちがこみ上げる時など、ちょっとため息に近いのかもしれない。

あなたの歌ってる声、中国語でなんて言ったらいいのかわかんないんだけど、とにかくムラマツなんだよ。

そう言われた。

 

ムラマツというとどっかの日本人みたいでなんとなく可笑しいのだが、これはタイヤル語で、

正確には私の母の実家の方で話す四季タイヤル語、「これを訳すのは難しい」とみんなが口をそろえて言う言葉だ。

懐かしくて、ちょっとさみしくなるが、悲しいのではなく、でもやっぱり少しさみしい、だけどいろいろ思い出されて、ああやっぱり懐かしい、

そんなような意味の言葉。英語の I miss you の "miss" のような意味だろうか。

 

アイーが私の歌声がおばあちゃんに似ててムラマツだと言ってから、

母もまるで伝染されたみたいに、そう言われてみればほんとにそうだ、アイーの言う通りだ、若い時のおばあちゃんの声を忘れてたけど、えりの声は本当にそっくりだ、とても懐かしいね、ほんとにムラマツだ、といつもいつも言うようになった。

 

そんなことがあり、声というのも、いろんな他のものと同じように、自分のものであって自分だけのものではないんだな、と思ったら、

何も考えずとにかく歌ったらいい、と沖縄でユタに言われたのはやっぱりその通りだなあと思うようになった。

私の声であって、おばあちゃんの声であって、きっと他の誰かの声でもあって、実際に似てるのかどうかわからないけど、そういうことではないんだろう。

声って不思議だ。歌だから余計に、なのかな。

 

ムラマツ、とこうして書いてみると、私はおばあちゃんの字を思い出す。

タイヤル語には固有の文字がないので、今はみんなローマ字で書いてるけど、日本語教育を受けた私の祖母は片仮名を当ててタイヤル語を書いていた。

おばあちゃんの引き出しに入ってたノートには、いろんな日本の歌の歌詞やちょっとしたメモ書きに混ざって、短い日記のような文章もあり、そこに片仮名で時々、「ムラマツ」と書いてあった。

私と母が一緒に日本に住んでいた子どもの頃、おじいちゃんとおばあちゃんは時々台湾から手紙をくれて、いつも古めかしい日本語で書かれていた手紙のその一番最後の部分は、カタカナのタイヤル語だった。

祖父母から手紙をもらうのははじめてで、ましてや自分の祖父母が字を、文章を、書ける人だったなんて、子どもなりに私はものすごくびっくりしていた。

ムラマツ、という言葉は、だいたいどの手紙の最後にも書かれていて、

その祖母の書くカタカナの形と、台湾の便箋の罫線の赤い色は、今もくっきりと、私の心の中に映し出されている。