昼間何してるんですか

すっかりご報告が遅くなってしまいましたが、Eri Liao Trio ツアーも無事終了。

ファイナル、そしてアンコール公演(!)と終えて、ひと区切り。

本当にみなさまどうもありがとうございました。

たくさんの方からメッセージもいただき、とっても嬉しいです。少しずつお返事書いてまいりますので少々お待ちくださいね ♫ たぶん忘れた頃にきます。

 

今回は一週間ちょっとのツアー、私としてはちょっと物足りないくらいで終わってしまった。

いつかもっと長いツアーにも出てみたいな。

留守にしてると家の植物さんたちがちょっと心配だけど。

昨日今日はやっとのんびりできたので、ベランダのお花のお手入れしたり、しばらく放置しちゃってた室内の鉢植えさんたちをちょっと綺麗にして、そして元気のない方々を我が家のパワスポへ移動してみた。ここに置くと、ああ、もうダメかも、、という様子だったのも不思議とみんな元気になる。隣の部屋とそんなに日当たりも変わらないはずなのに、なんだろう。私も具合悪い日はここで寝てみようかな。

 

「えりちゃんて昼間何してるの?」

という質問を先日またいただいたので、昼間の私の様子をレポートしてみました。

この質問、時々されるんだけど、この手の質問をする人たちの共通点をこの間見つけて、

それは私が質問に答えても、なんだか納得できないような顔をしてるということ。

サラ・ヴォーンが昼間何してるかとか、エラ・フィッツジェラルドが歌ってない時何してるかとか、自分は一度もそんな疑問を持ったことがなかったから、

こういう質問されるとすごく不思議な気分になるんだけど、もしかしてこれって文字通りの質問ではなくて、「何してるかわからん奴だな、お前は」の言い換えだったのかも。

ふふふ、世の中には何してるかわからんような奴がうじゃうじゃいるんですよ。

水、闇と光

今日は夕方大雨。

こんな時にかぎって自転車でちょっと鎌倉へ遠出していて、

雨宿りしてたパン屋さんが閉店するというので、仕方なく、通りがかりのファミマで白い透明の雨ガッパを買って、1時間半かけて帰ってきた。

真っ暗なゆるい坂道、

誰一人歩いてなくて、自転車の人もいなくて、

メガネも雨粒でよく見えなくなってしまって、対向車線の車のライトで足元を確認しながら細い通路を走っていたが、思わず足が止まってしまった。

動くのを止めると、辺りが随分しーんとして感じて、ここはどこなんだろう?と、はたと思った。見上げた斜め右上に「大仏」と標識が出ていた。

私は大仏に向かってなどいない。

完全に道に迷っていた。でもこの壁の向こうで、あの大仏がたったひとりで雨に打たれて座っているのかと思ったら、いつの間にか心で「大仏さまいつもお守りくださりありがとうございます」とつぶやいていた。その後なぜか、それまでより懸命に自転車を漕いですぐさま立ち去った。

 

前回のブログを読み返すと、そこでも私は雨+自転車+カッパだった。

どうやらこの3点セットに、私に何かを書き残したくさせる何かがあるみたい。

いつもと世界がちょっと違うように感じるからかなあ。

視点、高さもスピードも、皮膚の感覚、風も雨も。

 

今日、行きはよく晴れていたのだが、行きは行きで、山の方に向かって進んでいたはずが、目の前に突如由比ヶ浜が登場した。

突然の大仏にも驚いたが、突然の由比ヶ浜にも大変驚いた。

真っ暗いの雨の夜の大仏とは全く対照的で、太陽がキラキラして、大人も子供も、観光客も地元の人も、たくさんの人がいて、穏やかな海だった。

 

いつもの私なら写真を撮りたいところだったのに、

ちょっと前にiPhoneを水没させてしまった。数日間乾かしてみたけど、もうダメかな。いっぱい使ったしね。とってもとってもお世話になりました。

なので昔の写真を。水にまつわる話が今日は多かったから、今手元にある一番古い水にまつわる写真。

コニーアイランド、6年前、8月最後の日。

 

せっかくのブログだから、今日は何をしました、とか、今週は何をしました、とか、今度ツアーです!とか、そういうの書くつもりで書き始めてるんだけど、

いざ書いてみると、雨と自転車とカッパ、そうでなければ海になってしまうのはなんなんだろうなあ。

ぐつぐつ

夕方の空。

いろんなものが溶けた青。

 

雨と風が激しくなる前に、図書館と買い出しとコーヒー屋さんへ。

台風の前の買い出しは、いつもよりちょっといいものを買ってしまう。子どもの頃に母と市場へ出かけたことを思い出す。あの頃の台湾は今みたいにコンビニやスーパーがなかったし、台風前、市場へ買い出しにくる人々の気合いは、まるで旧正月の準備でもするかのようだった。母の手を握って、お店の電球の光の方へ、ぎゅうぎゅう押し合う人の波を分け入り、評判の店で母がガチョウの卵の塩漬けを1ダース注文し、膨らんだ買い物袋を手にして振り返って「帰るよ」と私に言うのを聞くと、これから何かとてもいいことを迎えるような気分になった。家に着き、私はもう旗袍を着たいような気分で電子琴を弾いた。

 

今夜、来客の予定もないが、この間大事な友人が来たときに張り切って作ったとっておきのカレーを鍋いっぱい煮込んでいる。

いい知らせ、大変な知らせ。雨の音、風の音。カレーのぐつぐつ煮える音。

 

今日もカッパを着て自転車で走った。

カッパを着るようになってから、雨に濡れることに対する気持ちがちょっとずつ変わっている。カッパの人や傘をささずに歩く人が思いのほかいて、ちょっと仲間意識。

明日は晴れて暑くなるんだとか。

仕方のない私、アカリノートさん

9月もいろんなことがあって、久しぶりに自分の扉がいくつか開いたと感じた。

 

23日、新高円寺のSTAX FREDというライブハウスで、

アカリノートさんという信念を持って音楽していて尊敬してる「歌うたい」主催のイベントに呼んでもらって歌ってきました。

すごくいい夜だった。出演してた、さのめいみ。さん、小嶋麻起さん、アカリノートさん、クラモトキョウコさん、みんな真摯に自分の音楽してる姿があってとても感動した。みんなの佇まいもはっきり覚えてる。オーナーの中村さんも。

みんなあの晩そういう歌を歌えたのは、やっぱりひとえにアカリさんのこのイベントへの思いがこもっていて、見えない準備をすごーくしてたからだなあー、と、本当にしみじみ思った。

 

ライブの写真をお客さんにいただいたのですが、どなたかわからず。

まじめに歌ってる写真をブログに載せるのあんまり好きではないんだけど(恥ずかしいのよ)

この写真に関しては、あの夜自分が歌ってて、その時見えた風景と重なるものがある、というか、

私があの時見てた景色とは全く違うのに、同じ気配のようなものが向こうに広がっていて、

アカリさんからライブ翌日に写真を渡されて、ハッとしてしまった。

撮ってくださった方、どうもありがとうございます。きっといつか声をかけてください。

 

さて、アカリさんのなさったライブじゃ見えない準備のひとつ、打ち合わせの話。

とっても久しぶりに誰かに自分の話をすることになった。アカリさんと二人で打ち合わせとはそういうことだった。雨の日の昼間、登戸の駅前の安い美味しい中華屋さんで。

私は歌い始めたのがミュージシャンとしては遅い方なので、いつも、特に自分より若いミュージシャンには、無条件でひれ伏すくらい尊敬しか感じない。

だって、私はそれができるのに30年以上もかかってしまった。

だって、ジミヘンだったら、あれだけのことをやって、死んで、もう何度も何度も追悼されてるという頃、

私はまだ、なんと、歌を、はじめてさえ!いないんだ。才能の差ってこういうことなんだと、もう雨の中泥道を転がって這いつくばってたいような気持ちだ。

 

今になって思い返せば、どうひっくり返って考えても、私は小さい時から音楽に対して圧倒的に虜になっていた。

音楽に虜にされ方を知っていたし、見事なまでに虜にされた結果として自分そのものが音楽になって、それを人前で表現するということに対して何のためらいもなかった。

歌であれ、ピアノであれ、エレクトーンであれ、子どもの歌だろうが、氷雨だろうが空港だろうが、アミ族の歌だろうがチェルニーだろうがヤマハの練習曲だろうが。

曲も作ってたし、まだ楽譜書けなかった頃もパーマンのはんこセットを駆使して自分なりの譜面を作って、歌詞も書いてたし、

あーーーーんなにあんなに、今してることは全て最初から当たり前のことだったのに、

「今まで一体何をしておったんだ?私は??」

という話を、アカリさんの、

「えりさん、一回しかお会いしたことないからどんな方なのかなって思って」

みたいな感じのところから、

自分の選んできた謎だらけのどえらい回り道の連続を、たどっては白状し続けることになって、我ながら自分に呆れた。

 

あの打ち合わせがあって、そしてリハでみんなの演奏聴いて、ああもうこれは私どう隠しても仕方ない、行こう、っていう気持ちで歌えました。

私は私でしかないんだもんね。

アカリさん、本当にありがとう。これからも歌います。

 

 

曇り空

9月がもう半分。

すみだニューヨークJAZZ Night vol.1、vol. 1.5、続けて終わった。

イベントも名前付けてあげるとしっかり愛着がわくものだなあ。

いろんな方に会えて、音楽のある楽しい時間をみんなで過ごせたことがとってもうれしい。それしかないんだよなあ。

お越しくださったみなさま、どこまでも素晴らしかったスタッフのみなさま、

本当にありがとうございました!!!!!

また次回は来年、それともいきなりまた何かあるかも。

その節はみなさま、どうぞまたよろしく♡

 

ちょっと前にやっとこさ自転車を買った。

雨ガッパも導入したので、雨でも自転車で出かけられるようになった。

今日は図書館に本を受け取りに行った帰り、なんとなく気が向いて海岸沿いのサイクリングロードに出てしばらく走った。

海辺を走りたくなるような空ではなかったのに、曇り空を映した海は、やはり圧倒的に美しかった。私の部屋の窓からはただどんよりと鬱々として見えたのに、海と共にある曇り空は、ドラマチックで、激しく、そして非常に繊細な濃淡があり、目を見張った。

海は、明るくなろうとしない空を、わずかに漏れている光を、重なる雲の暗がりを、全て映し、それでいて穏やかだった。美しかった。

たくさんの人が海の中で、波の向こうを眺めていた。海のこちら側ではたくさんカラスやトンボが飛んでいた。自転車を飛ばして、何かの虫とぶつかった。

 

だんだんお腹が空いてきたけど、もう少し、もう少し、と走って、引き返す頃にはもうすっかり真っ暗になっていて、灯台の明かりがくるくる回り始めた。

真っ暗な中、自転車のライトが私の走る道の、少し先を照らす。

片方に海の闇、波の白、波の音、

もう片方に草むら、松林、車の音、

時々すれ違う人、誰もいなくなる道、

道の上には時々砂がかぶさっていて、自転車のタイヤが取られ、まっすぐに進めなくなる。

あの暗い景色のいろんな表情を、私はどこかで見たことあるような気がする。

ブラザー

一度もブログを書かないまま、八月最後の日。

やさいの日、なんだって。こういう語呂合わせは好き。

大切な方からいただいたかぼちゃ、煮物にしてパクパク食べてます。

 

誰にも頼まれてないけど、ひと月以上もここを空けてしまって、

何をしていたかと言えば、母がしばらく台湾から来ていたので、仕事の合間はたっぷり娘をして過ごした。

 

母が台湾に戻って、もう10数年経つのか。

母は特に最近、みちがえるほど元気になったし、

この人ってこんな人だったのか、と思うほど、

日本でずっと専業主婦して押しつぶされてしまった母の本来が、ワハハハ(駄洒落になっちゃった)と大復活を遂げている。

 

母と一度だけ海へ歩いて散歩した。

旧暦8月、日本でもお盆だけど、台湾など中国語世界では「鬼月」。

鬼=いわゆる幽霊たちが、あちらの世界からこちらの世界に1ヶ月間、

夏休みをしに来る月だ。

直接「鬼」と呼んじゃあんまりだから、台湾では「好兄弟」=ナイスなブラザー達とも呼んでいる。

なんとも台湾らしいリスペクトの仕方で、私も、鬼よりブラザーと呼ぶ方が好き。

 

冥界ブラザー達は、当然、夏だから海にも遊びに来ているので、「海行こうよ」と何度母に言っても反応がにぶかったが、

ある日、川沿いを散歩してると見せかけて、そのまま河口から浜辺へと連れ出した。

ブラザー達はいたんだろうか。

とても波が大きくて、風が強くて、でもやっぱり海辺にいるだけですーっと気持ちがほぐれて、結局母は私よりはしゃぎ、自撮りに励んでいた。

もし来てたんだったら、ブラザー、生きてる間、遊べなかったぶん、たっぷり遊んでいってほしいな。

月とカラス

ちょっとご無沙汰しております。

昼も夜も虫や微生物の世界が豊かで、しばらくそういうものに夢中になっていました。

 

そしてしばらく経ったからやっと人に言えるようなおそろしい思いをした夜があった。

おそろしいと言っても、誰かが傷つけられたり損なわれたりするような、あってはならない怒るべき出来事ではなくて、

ただ私が夜中にひとり、体験したことのないおそれの只中にどういうわけかいて、

必死の思いでふんばり続け(体勢としてはベッドで寝てるだけだけど)

やっと、カラスが鳴いて、ああ、朝がきたんだ、

とほっとした、

という個人的な事件があったのだ。

ほっとはしたけど、とても眠れるような気分じゃなかったので、窓の外を見たら、

夜の間じゅう私が思い描いてたおそろしい世界の痕跡すらどこにもなくて、

明け方の空にぴかーーんと月が光り輝いていた。

 

カラスも他の鳥たちも、よく神の使いと聞くけれど、どんな夜も、鳥が鳴いて、明けて、朝が来て終わっていくのかと思ったら、なるほど神の使いだと思った。

月はあんなに輝いていたのに、朝が始まって進んでいくに連れ、透明になって消えてしまった。

 

それはさておき、最近、はじめてカラスをかわいいなあと思っている。

海でボーッとしてると、ふと気づくと、横でカラスも海の方を見てボーッとしたりしている。

風が強いからか、カラスも頭がちょっとぼさぼさになってて、

東京ではカラスも緊張度が高い感じだったし、まさかカラスが、ぼさぼさ頭で一緒に並んでボーッとする相手になるとは思ってもなかった。

 

今日は大きな黒いちょうちょ、下の方に少しだけオレンジが付いた、ゆっくり飛ぶ黒い大きなちょうちょ2匹に出会った。

ちょうちょが美しくて、カラスがかわいくて、夜がおそろしくて、ダンゴムシが足の間を通って、カラスが鳴いて、雲が泳いで、月が光って、月が消えて、

そういう中に私が歌うことも入っていればいいなあと思う。

月と夏みかん

帰り道、電線のない空を見上げていたら、海を眺めているような気持ちになった。

数日ぶりに雨が上がって、砂浜には、いつものきれいな貝殻のかわりに、年輪を持ったきれいな丸い石ころがたくさん転がっていた。

夕方くらい、海はぬらぬらしていた。今日の空は海より青かった。

海も空も青くても、空気がにじんでいる日、どこまでが空でどこまでが海なのか、じっと見てもわからない。夜も。どこまでが闇で、どこまでが海で、どこからが砂浜で、

でもどんな澄みわたった朝でも、どこまでが海で、どこから空で、どこからどこまでが私かなんて、向こうではわからないだろう。

 

最近、絵と呼べるかわからないけど、点や線を描いている。描いている間、なるべく一度も紙を見ないようにしている。

決して紙を見ないで、手元も見ないで、自分が今どんなものを描いてるか確認したくなっても決してしないで、自分が今この瞬間鉛筆で描いてる「その場所」からひと時も目をはなさずに、鉛筆も紙の上から離さずに、一瞬一瞬、目に見えているままに鉛筆を動かしていく、

というのを数年前に教わったのをふと思い出して、ここ数日、日記代わりに家にあるものをそのやり方で描いたりしている。

今朝はテーブルの上にあった夏みかんと目が合ったような気がしたので、今日はこのひとかな、という感じで描き始めていったら、ものすごく、どきどきした。

昨日までは、観葉植物とか、出しっぱなしのコップとかを描いてたんだけど、夏みかんは全然ちがった。

夏みかんの輪郭を目で追いながら、自分の手で紙の上に鉛筆で線を引いて、私はひりひりする思いだった。

丸く、後で自分が描いたのを見たら丸がつながってなかったけど、夏みかんのような丸い形に、私はこの夏みかんを空間から切り取って、ヘタの取れた跡を描いて、次に夏みかんの傷が目に入った。鉛筆を持つ手に少し力を入れて紙の上に傷を引いて、でもよく見ると、傷は鋭い線状の痕ではなく、痕と、痕にさす影の両方だった。

 

昼間、海の上の空に浮かぶ半月の写真を撮った。

その月を今こうして思い出しているのに、なんでか、ずっと住んでいた東京の空で見た月のことを考えている。

歌は不思議

お昼寝のはずが思ったより本格的に寝てしまい、用事を済ませなくちゃと慌ててとにかく家を出たが、外に出てみたら、やっぱりどうしても足が向いて、買い物かばんを持ったまんま、海の方へ歩いた。

急いで歩いていたせいか、途中から息がつまりそうに湿気を感じた。梅雨入りしてたんだった。

今日みたいに湿気の中を歩いていると、台湾のことを思い出す。

 

昨日はほぼ1ヶ月ぶりにトリオでのライブだった。

ちょうどライブ前日、みんなの予定がようやく合って、私の家で長いリハをしたところだった。

といっても、実際にリハらしきことはほとんどせず(心がつぶれそうに素晴らしいジョビンの曲をみんなで少し練習した以外)珍しく、昼間から遅い時間まで3人でいろんなことを話した。

時々「その3人って、演奏以外の時どんな話したりするんですか?」と聞かれることがある。

うーん、と返事に困ってしまうほど大して話らしい話をしたことはないんだけど、一昨日は我々にしては珍しく話し込んだ。素面で。

どうでもいいことから、大事に思っていることまで。

こんなにこの二人と話ができるとは今の今まで知らなかったし、別に誰かと話したいような気分でもなかったし、不思議だなあと思った。

自宅リハの時はご飯を出すのが好きで、アメリカでも日本でもどこの家に住んでもそうしていて、

特に今はちょっと遠くに住んでるし、みんなわざわざ来てくれるのがうれしいから、ちょっと美味しいものを用意していた。

 

そういう時間も、演奏に現れるものなのかも、と、昨日のライブが終わって思った。

二人はわからないけど、私は明らかに、今までよりこの二人のことを信頼してるんだなあと思える歌を歌っていた。

自分でも、へえ、私の中に、こういう歌があったのか、と少し驚くような歌が、出てきた。

 

歌は本当に不思議だ。

自分自身聴いたことのない歌が、私自身の中から、思ってもみないタイミングで出てくる。

あふれ流れてくるような時もあれば、乾ききった絞りカスが転がり出てくるような時もあれば、誰かが私の声を通して出てきて慰めてくれてるような時もあれば、

でもどれも私の歌ううたなのだ。すごく不思議だ。

そして、歌を聴きに人々が集まるという行為も、とても不思議だ。

こんな不思議なことを当たり前のようにする人たちが、私含め、世界中にいるなんて、そんな特別なことがまだこの世の中にあるんだ。

 

昨日もそういう場に居合わせてくれた人たちがいてよかった。

また三人でツアーに出て、毎日毎日一緒に演奏したいなあ。

 

流れ落つ玉ねぎ一つ。

ご無沙汰してしまいました。

ここにつらつら書くのが自分には良いと思って楽しくやってたはずが、バタバタしてる間に遠のいてしまった。ただいま。

 

ちょっと前に窓から山や畑が見えるところに引っ越して、

空も広くて、鳥が飛んで、夜は暗くて、月が綺麗で、

毎日がミラクルのよう。毎日はそもそもミラクルなんだったね。

風は気持ちいいし、風の匂いは朝と夕方で違うし、

ちょっと疲れてバタリと倒れていても、風を感じて、倒れながらとてもいい気分になる。

毎日そんな感じで過ごしていて、ここに似た場所を知ってるな、と思って、

それはアフリカだった。全く遠いし、あんまり同意してくれる人はいないかも知れないけど。

 

新しい生活(通勤時間が長〜い!)にまだ慣れきれずにおりますが、

とりあえず電車で爆睡しながらなんとか元気にやっています。

とにかく毎日が遠足なので、NY時代いつも使ってた水筒を復活させてみました。

出かける準備にお茶を淹れるのも楽しいよ。

生活の手順がちょっと変わるだけでなんとなくウキウキする。

 

以上、ちょっとご無沙汰してしまったので、近況報告でした。

山積みになっている仕事(歌以外の仕事をうっかり引き受けてしまって大変なことに)をこなしてきまーす。

早く終わらせて、早く歌のことばかり、音楽のことばかりになりたい。

じゃないとなんだかじんましんが出てしまうんだなあ。いのちみじかしなのだよ。