去年の今頃は台湾に帰ってたらしい。これは夕暮れ時の淡水。
遠くから見ると、ベンチがまるで川に浮かぶボートのようで、とてもロマンチックに見えた。近寄ってみれば、ロマンチックなカップルより、友達同士だったりおじちゃんおばちゃん四方山話グループが多かったりするんだけど、でもそもそも夕暮れ時に人々が少し涼しい水辺に集まっておしゃべりすること自体とてもロマンチックなんだから、それに気付かせてくれてありがとう、ベンチ。ベンチを作ってくれた人、置いてくれた人。
今この写真を見てると、アフリカのサファリで、ちょうど空がこんな色になる頃、キリンやサイや、スプリングボックや、シマウマや、いろんな動物たちがジャンル(?)を超えて水辺に集まっていたのを思い出す。
昨日はやっとちょっと落ち着いて三線教室へ行くことができた。
先生と一緒に歌うのがすごく好きだ。私ももっと生徒さん達と一緒に歌おう。
登川先生の曲二曲と、お祝い事に歌う歌を習った。
この間地図を見て八重山があんなにも宜蘭から近いことを知ってから、八重山の歌も気になるなあと心ひそかに思ってたんだけど、たまたま先生が「あなた次はこれやったらいいよ」と歌い出した曲が八重山の曲だった。
そういえば以前ライブでご一緒した方が、リハ中に一人で私が安里屋ゆんた歌ってるのを聴いて「堂々としてていいね、声が八重山の方の人みたいだね」とおっしゃった。
その時は八重山がどんなところか全くわかってなくて、へーと思うくらいだったが、
大工哲弘さんのインタビューを読んでいたら、八重山の歌、特にゆんたは外で農作業しながら延々とコール&レスポンスだから、とにかくすごい声を出して歌うらしいのだ。
それに対して沖縄本島の歌は、いわゆるお座敷での歌、大工さんは「四畳半歌」と言ってたけど、基本室内で歌うのでちょっと裏声になったする。
沖縄の歌を改めて聴くようになって、女の人がみんな細く細く紡ぐような声なので、これはなんでかなあとずっと思っていたけど、これはなるほど。
音楽に関して私の場合どんなものにもタイヤルの子ども(laqi tayal)な自分が大きく参加してて、そんなわけで、沖縄の歌は親近感を持ちながらも時々違和感も感じていた。
違和感へのひとまずの対処法として、みんなで歌う時は調和を、自分一人の時は「味付け」と先生も言ってたし原住民風もまたよしとしてたけど、
八重山の歌というが沖縄本島の歌と台湾原住民の歌の間にあったというのが、今日の私の発見。
アミの歌になんとなく近いものを感じてたのは、ゆんた的なものだったんだね。アミもコール&レスポンス多いし、とにかくみんな大きな声で歌う。
この間沖縄(本島)に行った時、台湾と一番違うのはやっぱりあの圧倒的な山々があるかどうかだな、と思って、
また面白かったのが、八重山の方は、本島と比べて山や川が多く、歌も自然の素晴らしさを歌ったものなんかがたくさんあるらしい。
いやあまだまだ知らないことがいっぱい。行ってみたいところも、歌ってみたい歌も。
大工さんも台湾の原住民の歌を聴いた時、やっぱりゆんたに似ていると思ったらしい。おもしろいね。
この日曜日は先生と教室のみんなと老人ホームへ歌いに行く。
歌手という仕事ができて本当によかったけど、今の私は主にミュージックチャージをとるお店で歌うことが演奏活動のメインになっていて、
これからはそれ以外の場所で、いわゆるライブと違う形で歌ってみたいと思っていた。三線と沖縄の歌のおかげでお祭りや老人ホームで歌えてうれしい。
友達のお家の玄関のすき間からかわいい花。
ここのおうちには本当にお世話になって、
私を招いてくれて、おいしいご飯をふるまってくれて、
そこから朝の7時まで、一緒にいろいろ音楽の届け方を考えてくれて、
出かける前にちょっと仮眠できるよう、あたたかいお布団まで敷いてくれた。
ありがとうスイートゆみちゃん。
あの日たっぷりサポートしてもらったおかげで、すっかり力をもらって、
自分の家に帰って3日間、はじめて自分で、音楽の届け方について真剣に考えて、なんとか企画をまとめることができた。
もちろん曲のアレンジや演奏の中での音楽の届け方というのは今までずっと考えてきていることだけど、
その音楽を演奏する場について、同じくらい真剣に考えたことはなかった。
よく考えたら、その空間の空気を振動させていくわけだから「場」も音楽のうち、
そういうこと考えるの好きだったみたい。
しかし下町は、というか、墨田区のあのエリアいいなあ〜。
あの辺りは唯一空襲で焼け残ったエリアらしく、昔の家々が残っているからこそ、そこでの暮らし方、人との付き合い方ごと今も残っているみたい。
台北によくいる(NYにもいた)タイプの世話焼きおじさんおばさん的人々、あのあたりに行けばたくさんいるらしい。
そうやって考えると、東京、やっぱり焼け野原になってズタズタになったんだなあ。街も、街が持ってた人の交わりも、素直な動きも。
NYだって台北だって大都市だけど、東京と比べるとやっぱり、ごく自然に人と人が交わる風景がある。
あっと思ったら「あっ」とそのまま声に出るくらいの感じで、ただちょっと吹いてきた風くらいの感じで「その靴いいね、どこで買った?」とか、
そんな会話をすれ違う人とさっと交わして、たださっと通り過ぎて行く、たったそれだけのことなんだけど、
そういう感じが東京ではほぼ全くなく、たったそれがないせいで日々なんとなく、日々ほんの少しずつ、私は消耗している気がする。
というわけで、ゆみちゃん家に行くのもライブであのあたりに行くのもすごい好き。
実際その日も、夜中2時過ぎくらいに、歯ブラシやらお菓子やら買いにコンビニに行こうと思って玄関開けたら、
ゆみちゃんの家の前で、ものすごく苦しそうにしている若い女性が一人。
「今から産みに行くところなんです」
と。
私がのこのこブーツを履いている間、ゆみちゃんはささっと側に行って、腰をさすってあげて、しっかり彼女を病院へ送り出していた。
リスペクトゆみちゃん。
私もいつかそれくらいになりたい。
今日は朝から Kendrick Lamar ピュリッツァー賞受賞と Beyoncé の Coachella のパフォーマンスでとても力強く前向きな気持ちになった。
コミュニティの持ついろいろを背負って、自分の才能を犠牲にすることなく、心身を保ち、音楽ビジネスの巨大な力を使いこなし、自分自身もコミュニティも跳ね上がらせることができるって、あまりにすごいことすぎて、まるで嵐に次ぐ嵐の中、たくさんの船が連なる先頭で豪華客船と海賊船を二隻同時に操縦し、さらに雲間に太陽を呼び寄せ、大海原に虹をかけて進み続ける船長みたい。
ものすごい人たちだよ、本当に。
ビヨンセでよく友達と踊りまくったなー。
そして流行してる音楽が空間に流れる時の魔法的力ってやっぱりあるなと思った。
最近自分が触れていなかっただけだね。
踊りといえば、なんとなく三線始めてみて思わぬ喜びだったのは、
人を踊らせたり、場合によっては自分も踊る仕事が、歌うのと三線弾くのと同じくらい大事な仕事だったこと。
Barry Harris がクラスでいつだったか「ジャズの間違いはダンスを切り離してしまったことだ」と言ってて、そのことが頭にずっと残っている。
こないだの日曜は三線の合同稽古で来月のはいさいフェスタ(沖縄のイベントとして沖縄県外で最大だとのこと)に向けて練習していて、
はじめて宮古の曲の踊りを習った。みんなで踊るのはやっぱり楽しい。
大きくジャンプするところとか、なんとなく我々台湾原住民の踊りを思い出したりして、
そういえば、宮古ってどこにあるんだっけ、と地図を改めて見てみた。
こんな距離感だったとは。
直線距離で宜蘭から与那国って、与那国から石垣と同じくらい。
台北から屏東、台北から宮古、名護から宮古がどれも同じくらい。
近いとは知ってたけど、今日はなんだかとってもびっくりして、しばらくGoogle Mapを大きくしたり小さくしたりしていた。
琉球弧という言葉も改めて気になってちょっと調べたら、弧の長さ、九州から台湾の間までがちょうど本州くらい。
地図って面白いな。
生まれてはじめて台湾が大きい島だと思った。たぶんはじめて沖縄の島を基準にする気持ちで地図を眺めたから。
そんなこと思って見てたら、台湾が、よく駅ビルで計り売りしてる、あの大きいお芋の中身をくりぬいて作ったずっしり重いスイートポテトに見えた。
ケンドリックとビヨンセからもらったもうひとつの大事な気持ちは、格闘技をまた始めたい気持ち。
なんでかわかんないけど、格闘技する私と早弾きで歌う私は何となくリンクしてて、そこに行きたい。打楽器な私もたぶんそのへんにいる。
この間ライブに来てくれた三線教室の同い年友人かつ三線大先輩に、私の三線弾いてもらったら、同じ楽器?ってくらいまろやかないい音がして、
Youtubeでいろんな人の弾き方を見てた。
今日見た中で自分に一番そっくりな弾き方だったのは、カメラをチラリとも見ずフルパワーノンストップで延々演奏するずいぶん恰幅のよい小学生男子で、
ちょっと笑ってしまいつつも納得。そばでずっとおじいちゃんらしき方が見守っていた。
ああいう子ども、私の中に確かにいるな。
ライブはじめいろいろ楽しいことがあったのですが写真を撮っていなかったので、昔撮った母の故郷・宜蘭の山の写真でも。
この緑を見てるだけで心が少し吸われていく。
これはおばあちゃんが亡くなった5年前の夏。
おばあちゃんがいなくなって、休みができたら山に帰ろうという気持ちがずいぶん薄くなってしまった。
母のいとこ、私のおばあちゃんにとっては姪っ子、が長く入院していたのだが、先日自宅に戻り、やっと私のアルバムを聴いてくれたそうだ。
70代後半の人があのアルバム聴いてどう思うかな、と少しどきどきしたけど、アイー(おばさん)は、
「えりの声がえりのおばあちゃんの若い時の歌ってる声にそっくりで、涙が止まらなかった」
と言った。
おばあちゃんの歌をよく聴いて育ったけど、まさかそんなことを言われるとは思いもしなかった。
台湾原住民の曲、あと私の作ったナルワントと歌いまくるオリジナル曲は特に、とっても懐かしく「ムラマツ」だと言われた。
別のアイーも先日、「妳的歌聲,不知道國語怎麼講,就是ムラマツ」
とバスの中から電話で私に伝え、舌打ちをした。
台湾の舌打ちにはいろんな意味がある。うまく言葉にできない気持ちがこみ上げる時など、ちょっとため息に近いのかもしれない。
あなたの歌ってる声、中国語でなんて言ったらいいのかわかんないんだけど、とにかくムラマツなんだよ。
そう言われた。
ムラマツというとどっかの日本人みたいでなんとなく可笑しいのだが、これはタイヤル語で、
正確には私の母の実家の方で話す四季タイヤル語、「これを訳すのは難しい」とみんなが口をそろえて言う言葉だ。
懐かしくて、ちょっとさみしくなるが、悲しいのではなく、でもやっぱり少しさみしい、だけどいろいろ思い出されて、ああやっぱり懐かしい、
そんなような意味の言葉。英語の I miss you の "miss" のような意味だろうか。
アイーが私の歌声がおばあちゃんに似ててムラマツだと言ってから、
母もまるで伝染されたみたいに、そう言われてみればほんとにそうだ、アイーの言う通りだ、若い時のおばあちゃんの声を忘れてたけど、えりの声は本当にそっくりだ、とても懐かしいね、ほんとにムラマツだ、といつもいつも言うようになった。
そんなことがあり、声というのも、いろんな他のものと同じように、自分のものであって自分だけのものではないんだな、と思ったら、
何も考えずとにかく歌ったらいい、と沖縄でユタに言われたのはやっぱりその通りだなあと思うようになった。
私の声であって、おばあちゃんの声であって、きっと他の誰かの声でもあって、実際に似てるのかどうかわからないけど、そういうことではないんだろう。
声って不思議だ。歌だから余計に、なのかな。
ムラマツ、とこうして書いてみると、私はおばあちゃんの字を思い出す。
タイヤル語には固有の文字がないので、今はみんなローマ字で書いてるけど、日本語教育を受けた私の祖母は片仮名を当ててタイヤル語を書いていた。
おばあちゃんの引き出しに入ってたノートには、いろんな日本の歌の歌詞やちょっとしたメモ書きに混ざって、短い日記のような文章もあり、そこに片仮名で時々、「ムラマツ」と書いてあった。
私と母が一緒に日本に住んでいた子どもの頃、おじいちゃんとおばあちゃんは時々台湾から手紙をくれて、いつも古めかしい日本語で書かれていた手紙のその一番最後の部分は、カタカナのタイヤル語だった。
祖父母から手紙をもらうのははじめてで、ましてや自分の祖父母が字を、文章を、書ける人だったなんて、子どもなりに私はものすごくびっくりしていた。
ムラマツ、という言葉は、だいたいどの手紙の最後にも書かれていて、
その祖母の書くカタカナの形と、台湾の便箋の罫線の赤い色は、今もくっきりと、私の心の中に映し出されている。
3月最後の日は、三線教室のみなさんとさくらまつりで演奏、
そして桜吹雪の中お花見して打ち上げ。
みんなで一生懸命風の吹いてくる方にカメラを向けた。
脱いだ靴にも荷物の中にも、みんなの肩や焼き鳥にもたくさん花びらが乗って、とても楽しかった。
3歳くらいの小さい子もいれば、高校生も、大人も、おじいちゃんおばあちゃんも、一緒になって敷き物の上。
みんなで一緒に三線弾いて歌って、もう何話したか覚えてないようなおしゃべりをして、
時にはこうやって平和も味わわないとね。
知ってる人も知らない人もたくさんの人たちが楽しんでいる顔が、花咲く青空のもと並んでいるのは、やっぱり何ものにも代えがたい。
世代の違う人たちが集まって、みんなが知ってる歌があって、みんなでそれを歌うってすごーーく楽しいなあ。
私よりたくさん歌を知ってる人がいっぱいいて、でも私の方がちょっと知ってる歌もあって、
歌ったり、歌ってもらったり、手拍子をしたり、
こういう場は日本に来てはじめて。やっぱり民謡の世界はいいなあ・・!!!
ちなみにビンゴ大会ではコーヒー豆ゲット。いぇい。
また来年みんなでここに戻ってくるのが楽しみです。
その翌日もたっぷり外で過ごし、夜は友達と久しぶりにホルモン。
桜も盛大に散って降りかかってきたし、いよいよ次の季節が始まる兆し。
4月はライブ少なめですが、5月から始まるいろいろを準備しておりますので、どうぞお楽しみに!
台湾にもちょっと帰れたらいいんだけどなあ〜〜。
さっき電話で母が言うには、台北はもう29度だとか。
私はまだまだ革ジャン、ストール、ショートブーツだよ、と話したら、
「それ聞いてるだけで暑くておかしくなってきそう、やめて」と受話器の向こうで気が遠くなってました。だってまだまだ冷えるんだよー。
今月1本目のライブは明後日4/4(水)Eri Liao Trio @上尾プラス・イレヴン。
三人のスケジュールがなかなか揃わず、トリオは今月この日のみ。とてもいいお店ですので、気になる方はぜひ!
口琴も三線もチェケレも入って(なんでもすぐ入れたくなる)ますますちゃんぷるー度が増していい感じです。