身体ていしちに

5月。近所の一番好きな場所。

そういえば4年前日本に久しぶりにちょっと帰った時も5月。日本の新緑の緑色がこんな色だったんだ、と感動したんだった。花咲く春も好きだけど、この新緑の時期が一番心がのびのびとする。タンポポだって綿毛になって飛んでいくんだ。

 

昨日は永武幹子ちゃんとデュオ。はじめてお会いする方も見えてちょっと緊張したけど、自分で立てた小さい目標=小さなお祭ができて嬉しかった。一緒に考えてくれて心から最高のものにしてくれた幹子ちゃん、私の気持ちと一緒になって踊って歌って掛け声かけてくれた皆さん、本当にありがとう。

ライブについては毎回考えることがいろいろあるけど、昨日は改めて、共演者やお客さん達から私いただくもの(そういえば素晴らしい差し入れやお心遣い、たくさんいただいたのでした!ありがとうございました・・!)の大きさを感じた。私も今よりもっともっと大きなものをいつもお返しできるような人になりたいと思いながら帰った。

本当にありがとうございました。

 

ちょっと前Youtubeで喜納昌吉さんとお父さんの喜納昌永さんが二人で歌う『てぃんさぐぬ花』に感動して、感動してすぐに喜納さんのホームページに行ってみたら喜納さんがあんまりにもすごい人だったのでびっくりして、そうしたらちょうどライブがあるというので生で素晴らしい歌とギターと三線を聴くことまでできた。

変なおじさんがハイサイおじさんの替え歌だったことも知らなくて、変なおじさんの元の人、ハイサイおじさんの人、が花の人だったのも三線教室に来るまで全然知らなくて、しかもハイサイおじさんがこんなにもものすごい歌で、ハイサイおじさんの人がこんなにもものすごい人だったなんて全然知らなくて、

ここのところ毎日そのことを考え直しては驚きと尊敬の波がくり返し心の中にやってきて、そして最後に心の奥の湖が深く静まり返るような状態でいる。

そんなこんなで今は、私も自分のライブにもう少しお祭り的な要素を入れてみようと思ってるんだけど、昨日はそう思い立ってから最初のライブだったし、お祭り的要素どころかすごいダイレクトに試してみた。

結果!私自身がとにかく楽しくなってしまった!

この私の楽しい気持ちから第一歩が始まって、ライブを重ねるごとにみんなで共有できるものにどんどん育っていくのを楽しみとしよう。。

 

ところで最近その日のライブのセットリストを決める時にするようになった新しい習慣で、朝起きてふんふんと鼻歌の出てきた歌を必ず歌うようにしている。

よく覚えていない曲が出てきてしまったら、ライブの時間までになんとかアレンジを考えつつ譜面を書いて頑張って覚える。

いつも無意識に朝から鼻歌だったり起床一発わりとしっかり歌い出したりしているのだが、こんなわけで、そういう無意識な歌をちょっと気をつけて自分で聴くようにしている。

 

今日はライブのない日だけど、朝ベッドから立ち上がった瞬間、ついこの間習った登川先生のフィナレー(別れ)という曲が出てきた。

いい曲だなあと思いながら練習してたけど、まだ覚えきれてないと思っていたので、もう鼻歌になって朝一番に登場したことにちょっとびっくりした。

そういえば昨日の夜は、勧められたYoutubeを見ていて、最初は後ろ姿しかうつっていなかったドラマーの後ろ姿がなんとなく友人に似てるなあと思ってたら、

中盤からそのドラマーの正面が映り、やっぱりそのドラマーは友人だった。彼は少し前に病気で亡くなった。

彼の演奏をちゃんと聴いたのは実は昨日のYoutubeがはじめてで、1時間強のライブだったんだけど、バンドメンバー全員すごくて、彼もすごかった。

東京でふらふらしてて暇だけが取り柄だった当時の私が、こんな人と「ただ友達になった」って、そんなことってあるんだ、と今更びっくりした。

今ミュージシャンしてる自分から考えたら、キャリアも活動の場もまさに雲泥の差の人とただの友達だとか、夢のまた夢のような寝言のような話で、我ながら信じられない話だ。

そして思いがけず今頃Macのスクリーン越しにその友達と出会い直して、今私が見ている目の前で生命力が飛び出してくるみたいに彼はドラムを叩いてるけど、

この人は今ここの私がいる現実の世界にはいないのかと思うと、なんともいえず不思議な思いになった。

 

ライブはないけど、今日は一人でフィナレーを歌った。

なんでかわからないけど、もう死んでしまった友人なのに、「身体ていしちに」という歌詞を私は彼に歌いかけていた。

 

体たいせつに。また会える日まで。