冬越しの準備

 

久しぶりにオフの日。

 

たっぷり寝てたっぷりごろごろし、

トマトやお花の世話をして、

今日はひたすら休もうと決めて休めるだけ休んだ。

ずっと気にかけていたマンデビラの冬越しの準備もやっと、ひと夏ゴージャスな赤い花をつけ続けてくれた枝たちをばしばしと切り落とし、剪定した。

剪定という行為をするのは生まれてはじめてで、

切り始める前は、こんなに大きく育ってくれたのに、、と心を痛め惜しんでいたのが、いざ切り始めると、私とはこんなに思い切りのよい人だったのか、と自分でも知らない私が登場し、もうこれくらいにしたらどうですか、と止める人が誰かいてもいいのでは、という勢いで1時間半、切りに切った。


朝、母と電話で、台風が来るたび一年に何度もなぎ倒される台湾の木々が、よくもまああんなに育つ、という話をしていたせいか、

寒いベランダでマフラーを巻いた私は、まるで台風のように、血も涙もない剪定を施しながら、このいかにも南国育ちな風情のマンデビラは本来、それこそ台湾の実家で母が育てるブーゲンビリアや月下美人やハイビスカスたちと一緒に、こぼれ落ちるまで咲いてみたいだろう、などと考えた。

自分の手で愛情かけて育て、大きく茂らせ立派に花咲かせたたものを、これまで可愛がってきたのと同じ手で切り落とし、見るも無残な変わり果てた姿にした後「それではまた来年ね」とすがすがしく冬を迎え入れるなんて、私の今までの生活にはない感覚だ。少し自分が変わった気がした。

しかし風邪気味のところに1時間半寒空の下張り切ってしまったせいか、すっかり体を冷やしてしまったので、

やること・やりたかったことはひとまず置いておいて、布団にくるまり映画を見ることに。

 

もう少し若い頃はあんなに好きだったのに、いつのまにか、映画をみるということを全くしなくなっていて、

部屋でひとりDVDでも、、なんて今では稀有な出来事だ。映画を面白いと思ったり、見ようとも思わなくなったり、どういうことなんだろうな。

とにかく今日は、この夏くらいから折にふれ、もう一度見たいと思っていたドキュメンタリーがあったので、ミルクティを持ち込んで布団にくるまり電気を消して、準備万端に。寒い季節は得意ではないが、こういう時は気分がでる。

映画は『Rivers and Tides』、Andy Goldsworthy という、自然の中のものや出来事ーーー水(つらら、川の流れ、潮の満ち引き)、枝、石、草の成長、花などーーーを使って自然の中に作品をつくり、その作品が時間とともに変わっていく様子も含めて作品、というような制作をしているアーティストの話。

いろいろな芸術の形があるけれど、私たちは音楽を愛してもそれを手にとることもできず、音は私たちの中に入った瞬間から、ただ刻々と通り過ぎる残像として、かろうじて思い起こすことができるものにしかなり得ない。

それだからだろうか、私はこのドキュメンタリーを見て、とても深い感動と共感を覚えた。自然がそうであるように、また自然の中でこのアーティストが黙々と自然に倣い、そうであろうとしているように、私たちも刻々と、贈り物を捧げ続けては予期せぬプレゼントが喜ばしくも返され、そしてまた私たちは捧げ続ける、あるいは、贈り物を捧げ続けては予期せぬ失望が訪れ、それでもまた私たちは捧げ続ける、その大きな反復の中にしか生きられないということを、こんなに美しいものを見せて思い知らせてくれるのだから。


にゃー、私はまだまだじゃのう。。。風邪を引きかけるばかりで、張り切ってみては体を壊して休んでばかり。

風邪をうつしあう、愛し合う二人の歌を、70年代、私の生まれる少し前、ポール・サイモンが書いて歌った。

あたたかい部屋でとりあえず、もう何回かこの曲を聴いて、ゆっくりがんばるかな。