ぐつぐつ

夕方の空。

いろんなものが溶けた青。

 

雨と風が激しくなる前に、図書館と買い出しとコーヒー屋さんへ。

台風の前の買い出しは、いつもよりちょっといいものを買ってしまう。子どもの頃に母と市場へ出かけたことを思い出す。あの頃の台湾は今みたいにコンビニやスーパーがなかったし、台風前、市場へ買い出しにくる人々の気合いは、まるで旧正月の準備でもするかのようだった。母の手を握って、お店の電球の光の方へ、ぎゅうぎゅう押し合う人の波を分け入り、評判の店で母がガチョウの卵の塩漬けを1ダース注文し、膨らんだ買い物袋を手にして振り返って「帰るよ」と私に言うのを聞くと、これから何かとてもいいことを迎えるような気分になった。家に着き、私はもう旗袍を着たいような気分で電子琴を弾いた。

 

今夜、来客の予定もないが、この間大事な友人が来たときに張り切って作ったとっておきのカレーを鍋いっぱい煮込んでいる。

いい知らせ、大変な知らせ。雨の音、風の音。カレーのぐつぐつ煮える音。

 

今日もカッパを着て自転車で走った。

カッパを着るようになってから、雨に濡れることに対する気持ちがちょっとずつ変わっている。カッパの人や傘をささずに歩く人が思いのほかいて、ちょっと仲間意識。

明日は晴れて暑くなるんだとか。

仕方のない私、アカリノートさん

9月もいろんなことがあって、久しぶりに自分の扉がいくつか開いたと感じた。

 

23日、新高円寺のSTAX FREDというライブハウスで、

アカリノートさんという信念を持って音楽していて尊敬してる「歌うたい」主催のイベントに呼んでもらって歌ってきました。

すごくいい夜だった。出演してた、さのめいみ。さん、小嶋麻起さん、アカリノートさん、クラモトキョウコさん、みんな真摯に自分の音楽してる姿があってとても感動した。みんなの佇まいもはっきり覚えてる。オーナーの中村さんも。

みんなあの晩そういう歌を歌えたのは、やっぱりひとえにアカリさんのこのイベントへの思いがこもっていて、見えない準備をすごーくしてたからだなあー、と、本当にしみじみ思った。

 

ライブの写真をお客さんにいただいたのですが、どなたかわからず。

まじめに歌ってる写真をブログに載せるのあんまり好きではないんだけど(恥ずかしいのよ)

この写真に関しては、あの夜自分が歌ってて、その時見えた風景と重なるものがある、というか、

私があの時見てた景色とは全く違うのに、同じ気配のようなものが向こうに広がっていて、

アカリさんからライブ翌日に写真を渡されて、ハッとしてしまった。

撮ってくださった方、どうもありがとうございます。きっといつか声をかけてください。

 

さて、アカリさんのなさったライブじゃ見えない準備のひとつ、打ち合わせの話。

とっても久しぶりに誰かに自分の話をすることになった。アカリさんと二人で打ち合わせとはそういうことだった。雨の日の昼間、登戸の駅前の安い美味しい中華屋さんで。

私は歌い始めたのがミュージシャンとしては遅い方なので、いつも、特に自分より若いミュージシャンには、無条件でひれ伏すくらい尊敬しか感じない。

だって、私はそれができるのに30年以上もかかってしまった。

だって、ジミヘンだったら、あれだけのことをやって、死んで、もう何度も何度も追悼されてるという頃、

私はまだ、なんと、歌を、はじめてさえ!いないんだ。才能の差ってこういうことなんだと、もう雨の中泥道を転がって這いつくばってたいような気持ちだ。

 

今になって思い返せば、どうひっくり返って考えても、私は小さい時から音楽に対して圧倒的に虜になっていた。

音楽に虜にされ方を知っていたし、見事なまでに虜にされた結果として自分そのものが音楽になって、それを人前で表現するということに対して何のためらいもなかった。

歌であれ、ピアノであれ、エレクトーンであれ、子どもの歌だろうが、氷雨だろうが空港だろうが、アミ族の歌だろうがチェルニーだろうがヤマハの練習曲だろうが。

曲も作ってたし、まだ楽譜書けなかった頃もパーマンのはんこセットを駆使して自分なりの譜面を作って、歌詞も書いてたし、

あーーーーんなにあんなに、今してることは全て最初から当たり前のことだったのに、

「今まで一体何をしておったんだ?私は??」

という話を、アカリさんの、

「えりさん、一回しかお会いしたことないからどんな方なのかなって思って」

みたいな感じのところから、

自分の選んできた謎だらけのどえらい回り道の連続を、たどっては白状し続けることになって、我ながら自分に呆れた。

 

あの打ち合わせがあって、そしてリハでみんなの演奏聴いて、ああもうこれは私どう隠しても仕方ない、行こう、っていう気持ちで歌えました。

私は私でしかないんだもんね。

アカリさん、本当にありがとう。これからも歌います。

 

 

曇り空

9月がもう半分。

すみだニューヨークJAZZ Night vol.1、vol. 1.5、続けて終わった。

イベントも名前付けてあげるとしっかり愛着がわくものだなあ。

いろんな方に会えて、音楽のある楽しい時間をみんなで過ごせたことがとってもうれしい。それしかないんだよなあ。

お越しくださったみなさま、どこまでも素晴らしかったスタッフのみなさま、

本当にありがとうございました!!!!!

また次回は来年、それともいきなりまた何かあるかも。

その節はみなさま、どうぞまたよろしく♡

 

ちょっと前にやっとこさ自転車を買った。

雨ガッパも導入したので、雨でも自転車で出かけられるようになった。

今日は図書館に本を受け取りに行った帰り、なんとなく気が向いて海岸沿いのサイクリングロードに出てしばらく走った。

海辺を走りたくなるような空ではなかったのに、曇り空を映した海は、やはり圧倒的に美しかった。私の部屋の窓からはただどんよりと鬱々として見えたのに、海と共にある曇り空は、ドラマチックで、激しく、そして非常に繊細な濃淡があり、目を見張った。

海は、明るくなろうとしない空を、わずかに漏れている光を、重なる雲の暗がりを、全て映し、それでいて穏やかだった。美しかった。

たくさんの人が海の中で、波の向こうを眺めていた。海のこちら側ではたくさんカラスやトンボが飛んでいた。自転車を飛ばして、何かの虫とぶつかった。

 

だんだんお腹が空いてきたけど、もう少し、もう少し、と走って、引き返す頃にはもうすっかり真っ暗になっていて、灯台の明かりがくるくる回り始めた。

真っ暗な中、自転車のライトが私の走る道の、少し先を照らす。

片方に海の闇、波の白、波の音、

もう片方に草むら、松林、車の音、

時々すれ違う人、誰もいなくなる道、

道の上には時々砂がかぶさっていて、自転車のタイヤが取られ、まっすぐに進めなくなる。

あの暗い景色のいろんな表情を、私はどこかで見たことあるような気がする。