ハチロー

昨日のライブ、来てくださったみなさまどうもありがとうございました。

私はあくまでファルコンレコ発ライブのゲストということだったので、ちょっと歌ったら後ろの方で大人しくしてお酒でも飲んでるつもりだったのですが、平塚 Wood Shop ではサンタナでの Wood Shop音楽祭も入れたら5回くらい歌ってるのかな、すっかり馴染みの顔となったお客さんもいて、とっても居心地のいい場所になって、ついついアンコールされるままにいっぱい歌ってしまった・・。調子に乗ってしまってごめん、ファルコン。

 

マスターとママとその周りの人たちのこと、会うたび好きだなあと思う。

最後に残った近所のお客さんたちと、すぐそこのけいちゃん家に施されたクリスマスのイルミネーションをみんなで眺めて、屋根に向かってハシゴをとっとこ上ってくサンタさんの速度が遅くなったり早くなったりするのを見て「サンタは疲れるんだ、ほらまた遅くなった」とか「あ、今ちょっと休んだからほらまた早くなった」とか「いや、これは全部私たちがこうやって見てる間だけのことで、あのサンタ、私たちが店の中に戻ってったら絶対休んでてハシゴなんて上ってないよ」とか、そんな話をケラケラとした後、「あの家に帰るのか」とけいちゃんがぼそっと呟いてお家に帰っていくのを手を振って見送って、私たちも御開きとなった。

 

8月最後の土曜日、Wood Shop音楽祭の時にマスターがギターを弾いてママがオカリナを吹いた「悲しくてやりきれない」があれからずっと心の中に聴こえてる。 

どんな歌詞だったっけ、と思って今検索してみたら、ものすごかった。

こんなうたが流行ったのか。やるせないモヤモヤ。限りないむなしさ。もえたぎる苦しさ。

こういう本当のことを口ずさんで心をなぐさめることができたなんて、この曲が流行った時の人たちはよかったな。私もあとでピアノに座って歌ってみようか。

 

気になってこの曲の作詞したサトウハチローのことをちょっと調べてみた。子どもの頃、あれは母と日本に引っ越してきた最初の年、「ちいさい秋みつけた」を金町の駅前にあるエレクトーン教室で習って、すごく好きで、ずーっと何度も弾いては歌ってた。ミラシドミー、って始まるあのイントロをまず右手で、そして左手で同じフレーズを山びこが応えるように。楽譜の右上に書いてあった作詞・作曲者の名前の、作曲の方は覚えてなかったけど(今見たら中田喜直だったんですね)、作詞の方は、名前全部カタカナだし、最後の文字伸ばし棒だし、ドロップとかトローチの仲間のように見えてすぐに覚えた。そしてまたここで出会った。

 

大変な人だったんだな。育った家庭環境から大変だったようだけど、でも彼がまだ10代の若い頃、家族の外にとっても信頼できる大人と深く交流できていたみたいで、それはすごく大きいことだったんだと思う。世の中がやるせないやるせないモヤモヤの中にあるように思えて、掴めないそのモヤモヤをよーく覗いてみると、そこは限りないむなしさで満ちていて、その中で救いを探し求めてみても苦しさがもえたぎるばかりで、空が輝いてても、雲が流れてても、森の中で風を感じていても、悲しくて悲しくてやりきれないということが変わることはない。それでもたった一筋、この世の中のどこかに信頼みたいなものがあって、そこを掴むことができたら、せめて歌詞にして、うたにすることができて、それを自分に許すことができて、それってものすごいことだ。そういう信頼はたった一筋あればいいんだけど、でもそのたった一筋がないと死んじゃう。

 

お花にお水あげなきゃ。外が晴れてきた。

この頃は朝が暗いし、起きてすぐ水あげるとなんだか冷たそうだから、ちょっと日が差してくるまで少し待ってるんだけど、それでいいのかな。「お湯にしようか?」って聞きたくなる、って、前に友人のまみちゃんが言ってたな。

 

写真は Wood Shop音楽祭のリハ後、平塚駅の周りを散歩した時のもの。歩道橋に草がぼうぼう生えて向こうまで続いてて、なんかそれが嬉しかった。