久しぶりの人

クリスマスも終わり、窓の向こうに見える富士山が裾野の方にかけてまた白くなってきた。

 

この間のホメリのライブでは、お客さんに一人外国の方がいらっしゃり、あんまり話せなかったけど、お店を出るときに彼は手をあげて、出口のドアからこちらを振り向くようにして大きな声で "Merry Christmas!" とみんなに向かって挨拶をした。そうだったね。そういえばそうやってみんなで挨拶し合ったっけなあと思い出して、でも私から同じような声は出なかった。なんとなく笑って手を降った。クリスマスを素直に祝えるような心持ちではなくなってるのかもしれない。それでも祝いたいという気持ちはあって、藤沢駅改札すぐの神戸屋に寄ってシュトレンを二本買ってホメリに持って行って、みんなで食べた。それだけのことなんだけど、よく会うお客さんやはじめて会う人、久しぶりの友人やお店の人と一緒に夜、あたたかい部屋でコーヒーやワインと一緒に焼き菓子を食べるのは、今一緒に生きていることをささやかに祝福できる大切な時間だった。ライブが終わるともう遅いので、お客さんは半分くらいすぐに帰ってしまって、一本だけ切ってもらって残ったみんなで分けた。もう一本は今年もお世話になったアルジに。よく寝かせてゆっくり食べてね。そういえばオーブンがほしいと去年から思ってたんだった。どこに置こうかな。

 

時差もあるのでちょうど昨日の夜あたり、アメリカの友人たちから、メリークリスマスのメールが届いた。懐かしい人たち。メールがなかったらきっと連絡を取ることもなかっただろう。住所のわかる人にはクリスマスカードを送ったかもしれないけど、そんな風に連絡を取ることと取らないことの差もよくわからなくなってしまった。カード届くと嬉しいのにね。その人の字や、切手を貼った手、カードを閉じて封をした手。車を停めて郵便局の窓口へと歩いて出しに行ったのか。そんなことを想像しているだけで、コーヒーが冷めるまでぼーっとしてしまう。今年は誰にもカードを書かなかった。遠くのいろんな友人たちのことをいつも思い出して考えている。ただそれだけで今年は終わった。

 

ライブハウスやカフェなどで歌うのを主な仕事としているので、自分の手帳に書いてある予定の半分くらいの「何月何日何時どこに行く」というのを公開していることとなり、なので時々、私としては手帳通りに行動しているだけで、思いもよらない懐かしい人が会いに来てくれることがある。先日の吉祥寺バオバブのライブにも、おそらく10年ぶりくらいになる友人が「えりー会いに来たよ」とふと現れた。20代の頃台湾で付き合っていた彼氏の親友の当時の彼女。こう書くと随分薄いつながりのようだけど、それでも人のことって忘れないもので、その彼氏と別れても彼女のことをなんとはなしによく思い出して考えていたし、だいたい麻布十番の商店街を、アメリカンアパレルに白いスカートを買いに行こうと歩いていたら、近くのカフェで仕事していた彼女が休憩しに外へ出てきて、私の目の前から坂道をすたすた下りてきたこともあったんだった。あのスカートはどこに行ったんだろう。たぶんそのバッタリから10年ぶりなんだけど、こうして会ってみるとそう久しぶりでもないような感じで、それは私がよく彼女のことを思い出していたからなのか、彼女も私の知らないところで私のことを時々思い出してくれてたからなのか。「変わらないね」って言い合ったけど20代、30代、40代と過ごしているのだからそんなはずはないのだし、変わらないのは何なのかな。私たちがもっと老いたら、もっと時間が感じられるほど久しぶりだと思い、会っていない時間の分だけ私たちも変わったと思うだろうか。

 

クリスマスも終わると年末。ひいらぎから南天へ。

リハーサルに出かける前に、玄関に飾るお花を買ってこなくては。