またパキラ

昨日の高円寺の記憶がほとんどない。みんなと楽しい時間を過ごした後の、あの満足したような疲れたような感覚はある。昨夜は今度こそ終電に乗りたいという気持ちが妙にあって、帰ると言ったらえこちゃんが何も言わずコートを羽織って一緒に駅まで走ってくれて、なんかすごく嬉しかった。えこちゃんはいつも一緒に駅まで走ってくれる。えこちゃん大好きだよ。名前まで好き。みなさんどうもありがとうございました。みんな今日も元気にしてるかな。STAX FREDはまた31日に出演します。ライブ後にみんなで近くのお寺に鐘つきに行くんだって。楽しみだな。そういえば中村さんにCDを渡すタイミングを逃してしまった。

 

記憶がないと言ったけど、もうちょっとじーっとしていれば結構思い出せそう。ケイくんの顔や、中村さん、KAZさん、ハチさん、田口さん、のいろいろ、少しずつ断片的にチラホラと浮かんできている。

もう少し若い頃まで、私は本当に嫌になるくらい記憶が細かく、特に人の顔と名前は絶対に忘れなかったし、その人がどんな時どんな風に振舞っていたとか自分の見たものを全然忘れられなかった。でもみんなあんまりにも何も覚えていない風にしているので、そうか、世の中の人同士お互い覚えていないふりをして、また一から接していくのがひとつの作法だったのかと思って、「えーどうだったっけ、覚えてないや」とか言って過ごすようにしていた。細かなことをひとつひとつ思い浮かべながら。なのに最近は思い出せないことがそれにしても随分多くて、まるでどんどん不思議な世界に入っていってるような気分だ。ここをずっと歩いていくとどんな世界に着くんだろう。

 

昨日と同じパキラの木の前に座っていたら、今朝も、記憶の底の方から、亡くなった人と呼んでいいのか、いろんなことが少しだけ違っていたら会うことができた、大事な存在になったかもしれない、でもいろんなことが違っていたらそもそもその人の存在はなかったかもしれない人のことが頭に浮かんで、思いめぐらせて、気が付いたらハラハラ泣いていた。私は母が40の頃どんな風だったっけとぼんやり考えていたんだった。母はすごく綺麗だった。時々一緒に電車に乗ると、母があんまりにも綺麗で美しく光り輝いているので、総武線で向かいの席に乗り合わせたおじさんが、あの人はもしかしたらそれまで母のような美しい人を見たことなかったのか、母のことをずーっとじーっと、まさに不躾な目付きでいつまでも見ていて、私はそれにものすごく腹を立て、母の横からそのおじさんに向けて、有らん限りの力を振り絞り、全力を込めて睨んだ。あれは母が40よりもう少し若かった頃かもしれない。でもママは今だってすごく綺麗だ。

 

美人という言葉と beautiful という言葉について考えていた。母はすごい美人なんだけど、ママのことを美人と言う時、いつも少し申し訳ない気持ちがする。そんな小さなものにしてしまってごめんという気持ちなのだ。beautiful だったら、木だって、空だって、海だって、鳥だって、この世界の全てのことなのに、美人なんて、たった人間の女性だけのことにしてしまって、ママをそんな風に小さなものにしてしまってごめんね、って思う。

 

今日はライブない日なので少し気持ちもゆっくりしている。

成城のクオバディスというカフェギャラリーに、大切な友人とお世話になった方に会いに、その方の描いたお花や首里城や台湾の柚子(日本語では文旦)の絵を見に行こうと思う。今日も晴れていてうれしい。晴れているってこんなにすごいことなんだね。こうやって毎日書くようになるまで、たった空が晴れているだけで自分が毎日こんなにしあわせになるのだとよくわかっていなかった。