夢のような

つくづく私はすぐにいっぱいいっぱいになってしまう人間で、いろいろな大事にしたいことが、間に合わず、すぐ過ぎ去っていってしまう。それなのにいろんなことがしてみたくて、あの人やこの人に会いたくて、これはもう筋トレのようなことをしていかないといけないんだろう。

 

さっきまで台北にいた。母、おば、いとことそのもうすぐ結婚する彼氏、おじいちゃん、と会えた。おじいちゃんは私のことがわかるようなわからないような感じだったけど、なんとなくわかってるのかもしれない。耳があまり聴こえず、目もあまり見えないおじいちゃんの世界の中で。3年ぶりに帰る実家には私の部屋があった。母の部屋も、おじいちゃんの部屋も、いとこの部屋も。みんなそこにあって、おばが泊まりに来る時「私ここが一番気持ちいい」と言って寝るソファもあり、3年どころか最低10年はそこにあるはずの香水の瓶がまだ母の部屋の鏡の前に、タンスには昔の私が気に入っていた下着と母の下着、いとこの誰かの子どものまだ小さかった頃の下着が隣り合って、下の段には私が大学生の頃着ていた真っ黄色のセーターやピンクのラメの入ったセーター、もう着なさそうなジーパンやヒョウ柄のスカートもある。母が日本で使っていた小さな鏡台は私の部屋に置かれ、母が買ってくれた赤いソファベッドはおじいちゃんの部屋に、おじいちゃんはよくベッドから落ちるので、落ちてもうまくソファベッドに着地するよう真横にぴったり並べて置かれていて、壁やドア、床には母がソファを運んだ時につけた傷がぎゅうぎゅうついていた。

 

あたり前のようにいて、あたり前のように帰ってきてしまった。日本に戻る前、舌の付け根にできた口内炎が今も時々痛むのを確かめているくらいで、あとはなんだか全て夢のようでもある。あたり前の夢というのはあるんだろうか。

 

新年早々世の中はすさまじく、焦るようにニュースを読んでいるが、一体どうなるのだろうか。

 

セーターばかり持っていったので、昼間の台北はちょっと暑くて、クローゼットにかけてあった19の時サンフランシスコで買ったデニムのワンピースを着て外に出た。40歳の私になど買ってやったつもりはなかっただろうに、お世話になります、と思いながら袖を通した。はじめて行ったアメリカで見かけたLEVI'Sの大きなポスターでは、よく似たデニムのワンピースを着た女の子が誰かの運転するバイクの後ろにまたがり、その人に体を預け、長い髪をたなびかせていた。そんなのに憧れて、試着して、悩みに悩んで、思い切って買ったのに結局あんまり着なかったんだなあと懐かしく思い出しながら、1月でも緑深く日差しの強い台北の街を母と並んで歩き、薬局でアレルギーの薬を買って、昔よく覗いた、きれいな茶器、きれいな肌触りのよい布で作られた小物やチャイナドレスの並ぶお店を久しぶりに覗いて、近所の古い家がリノベーションされてできた新しいカフェに入った。頼んだカフェラテは30分くらい出てこなくて、ワインボトルに入れて出された水を飲みながら、母といろんな話をした。いろんな話をする時はいつもこんな感じで母と近所のカフェに行ったんだった。

 

家に帰ると、宜蘭の山から下りてきたおばが着いていて、おばは相変わらず美しくてうれしくてホッとした。おばが微笑むたびに、声を出して笑うたびに、頷くたび、私はとてもうれしくなる。髪が少し薄くなったけど、それでも美しい人は何も損なわれず美しいんだと思った。ご飯を食べながらテーブルで話し、ご飯を食べ終わってお茶を入れて、残りのおかずをもうお腹いっぱいなのにちょびちょび突っつきながら話をし、みんなで食器を台所に持って行って、母が流しで洗い物をして、おばはおばあちゃんが生きてた頃いつもそこに座って母に指図したり終わらないおしゃべりをしていたピンクの椅子に腰かけて、私はその横に立ったりして、私たちはまだ話をしている。この家から人やものが少なくなってしまったからか、洗濯機の回る音が家の中で共鳴して、リビングの手前の廊下を歩くとシンギングボウルのような倍音が聞こえる。

「えりにも聞こえるんだ。ママおかしくなっちゃったのかと思った」

と母が、まるでおばけを見たみたいな顔をして言う。そうそう、おばの息子の小吉にも聞こえるらしい、と、やっぱりおばけの話みたいに言うので、私は痩せて背の高い小吉がうちの廊下をそろそろと聞き耳立てながら、幽霊のように足音立てずに歩いているのを想像する。

 

早くまたみんなに会いたい。会うだけでどうということはないんだけど。随分遠いところに来ちゃったんだな。

明日からリハやらホテルでの演奏やら、またそれもすっかり遠いところの話のようだ。全部が遠いような近いような、夢のような。