神様のやさしさ

昨夜はビキがごはんを作ってくれて、彼女の家でワインを開けて、二人でゆっくりいろんな話をした。しあわせであっという間の時間。朝早くビキは会社に出かけてしまったので、私は昨日彼女が座ってた窓辺の席に座って、持ってきたパソコンを広げ、昨日のおつまみの残りを片っ端から平らげながら、こんな風にブログを書いたり事務仕事をしたり、「もう熟してるから食べな」と手渡された立派な柿をいつ食べようか、彼女の脱ぎ捨てていった部屋着を着ながら考えている。

 

私には兄弟がいないが、兄弟のように感じる友人はいて、ビキはその中でも特別な存在だ。こういう友人に出会えることは本当に奇跡のようなことだと、神様のやさしさってこういうことかなと、会って話すたびに思う。「私のソウルシスターだからね」といつも言ってるけど、それくらいのちょっと薄っぺらい響きの言葉でも使わないとクラクラしそうなくらい深いつながりがあると思ってる。同い年で、私と同じようにお母さんが台湾人で、台北に生まれ、台北で小学校の途中まで過ごし、日本に来て、NYに留学し、そこで出会ってからずっと、時間が経つほどにどんどん近い存在になっていくように感じる。彼女は私よりも長くNYに残って、学校をちゃんと卒業して、働いて、しばらくして日本に戻ることを決め、私は一足先に東京に戻っていたので、東京で仕事を探す間彼女は私の家に住み、その後彼女は香港へ行ったり、私はまたNYに行ったりしたけど、また二人とも日本に戻り、東京でライブがあって帰りが遅くなる日なんかは今度は私の方が門前仲町にあるビキの家に泊まるようになった。

 

「人は誰も時代の子であることから逃れられない」という高校の倫理の先生の言葉がいつも頭に残っている。ビキと話しているとよくその言葉が浮かぶ。ビキというか、ビキを通してビキのママ、私のママ、その娘たちとしての私たち、つまりあの時代、60年代、70年代の台湾で、いろんな意味で必ずしも恵まれてはいない環境を生き抜いてきた女性たちとその娘たち、親戚など周囲の人たち、中でも女性たちの人生がこうも激しく、こうも似通っている(特に壮絶さにおいて)というのは、みんな時代の子だったというわけで、似た者同士集まっては語り合って笑い飛ばしながら過ごしていくのが一番たのしく、これからまた続きを生きていってみようかねという力になる。もちろん、一番人に言いにくい、一番大きな声では言えない(こんなブログに書けないようなね)ことが一番とびっきりの話で、そういうのをシェアできる人は親戚以外ビキだけ。こんな人がちゃんと世界にいて出会えるんだもんね。私たちは秘密結社のように、外ではそんなことはおくびにも出さず、いたってふつうに生活して、そういうふつうの生活や仕事の楽しみも味わって、時々二人で会えば、他の人に話してもただ辛そうなだけで面白くもないかもしれない話のひだのひだまで味わって、たっぷり笑って、寝て起きたらまたお互いの生活に戻る。

 

ビキちゃん柿ごちそうさま。私に食べるよう勧めたのは、皮むくのが面倒で億劫だからでしょう。知ってるよん。今度ここに泊まりに来るときは、どこかで柿を一山買ってきて、

「これ食べな、体にいいんだよ、對女生最好,一天吃一個,妳不會生病」

とおばが母に言うみたいなことを言いながらビニール袋ごと有無を言わさず手渡して、ビキのありがた迷惑してる顔を見たら、彼女が会社に行ってる間に全部皮をむいてタッパーに入れて冷蔵庫にしまって、テーブルの上にメモを残してから出かけよう。今日はまずのんびりさせてもらったわよ。ごろごろしながらアプリでポルトガル語練習したり。お皿の上の私の食いかけのクッキー食べてね、親愛的。愛妳永遠,永遠。