柏尾川

いよいよ寒くなった。何もしたくない。昨日から風も強いし、雨も降ってる。シナモンと胡椒は相変わらずおいしい。お風呂ばかり入りたい。でも早朝が冷たく暗くても、夜が明ければやっぱり明るい。灰色の空も、寒々しい灰色のまま明るい。それにしても風の音ってどうしていつもこんなに胸がドキドキするんだろう。

 

旧正月の頃ってこんなに寒いんだなあと思ってたら、幼稚園の頃、母が旗袍を買ってくれたことを思い出した。いかにもよくある色と柄だったから、たぶん母は市場かどこかで買ったんだろう。私が自分で選んだかどうかは思い出せない。自分で選んだならピンクのにしたはずだと思うけど、そう言えば小さい頃は一番好きなものがいつもうまく言えなくて、「好きなのを選んでいいんだよ」と言われてもなかなかピンクのを指差せなかった。だからもしかして私が自分で「これがいい」と言ったのかもしれない。テロテロ光る赤いサテン地に金糸で梅の花咲く枝がたくさん刺繍してあって、立襟の付け根とそこから脇にかけて斜めに中国紐の飾りボタンが四つくらいついていて、長袖。生まれてはじめて着た旗袍。「過年の時に着るんだよ」と母はすぐに洋服ダンスの中に仕舞ってしまって、私は何日もワクワクした。台湾も昔は旧正月の時期はデパートでも市場でもお店はみんな閉まったので、母に手を引かれていつもより人出の多い街へ、鹹蛋や香腸など、私の大好物かつ日持ちのしそうなものなどを買いに、背の高い大人たちに混ざって、母からはぐれないよう長い列に並んで、頭の中はあの真っ赤な旗袍でいっぱいだった。

 

生まれ育った台北のマンションに住んでたのは私と母の二人だけだったけど、今に至るまで、母と二人っきりになったことはほとんどない。母は七人兄弟だったから私にはいとこがたくさんいて、祖母は五人姉妹だったので母にもいとこがたくさんいて、よって私にはたくさんのはとこもいた。大家族で一つ屋根の下に住むことの多い台湾で、私と母が二人暮らしをしているというのは、周りにはきっと相当心細く見えただろうし、母の兄・妹・いとこ達は決して楽じゃない仕事をしながら子育てをしていたから、経済的にも精神・体力的にも余裕がなかったのだろう。おばあちゃんは様々なおじおばのところから代わる代わる誰か子どもを、順繰りに連れては手をつないでうちへやって来て、連れて来られたいとこ達はうちのマンションから幼稚園に通ったり、年の離れたはとこはうちから大学へ通った時期もあったし、小学校だったいとこは、私の世話や遊び相手をしながら、今にして思えば一学期分くらい平気で学校を休んでいた。

 

その年の春節は珍しく、家に私と母の二人だけで、私はやっとこさお気に入りの旗袍を着て、髪型も、母がいつもよりちょっと可愛く整えてくれて、とってもいい気分だったが手持ち無沙汰だった。母は向こうで台所仕事か何かで忙しくしていて、私はなんとなくリビングの壁際に立っていたのを覚えている。寒いからと母に白の分厚いタイツを穿かされて、「恭喜恭喜恭喜你呀」とくり返す春節の歌をひとりで延々と歌った。母と二人でテレビを見て、当時テレビのチャンネルは、中視、台視、華視の三つしかなくて、チャンネルを変えたければ画面横にあるチャンネル名の書いてあるボタンをカチッと押して、押すとボタンが光って画面が切り替わった。まだ台湾が戒厳令下にあった時代。春節用の歌番組で誰かが「梅花」を歌うのを見たような気もする。その年の春節じゃなかったかもしれない。爆竹の音を聞きたくて、いつもより遅くまで起きていたかった。台湾で過ごした春節なら、もっと家にみんなが揃って、それかもしくは私と母が誰か親戚の家に行って、にぎやかで楽しかった年が必ずあったはずなのに、旧正月と言うと思い出すのは、赤い旗袍にワクワクしたあの気持ち、背の高い大人に混ざって並んだ長い列、お気に入りの旗袍を着て、上機嫌だけど手持ち無沙汰なあの気持ち、ひんやりした壁、母と二人しかいない家の中で、聞いたか聞かなかったか、下の通りからする爆竹の音に喜んだようなこと、チャンネルの三つしかないテレビ、どれも少し寂しい色合いをしている。

 

寒い季節はそういうものなのか、日曜日、京急に乗って、品川あたりでふと窓の外を見下ろすと、第一京浜には人も車もまばらで、その人気ない広い道路をぼーっと眺めてたら急に、まるで自分がみるみるその寂しさそのものになってしまいそうに感じて、あわてて自分で自分の手の指を触った。あの覆いかぶさるような寂しさが、第一京浜のものなのか、私から出てきた何かだったのか、なんだったのかわからない。

 

同じ日の夕方から、戸塚LOPOでライブだった。このお店で演奏するのは2回目で、私はLOPOの真横を流れる柏尾川という川が好き。東海道線が戸塚に停まる間によく見えて、地味な感じでいいなあ、いつか行ってみたいなあと思ってたので、はじめてLOPO出演のお誘いがあった時、なんとあの柏尾川沿いにあるお店だと知って俄然楽しみになった。桜が植えてあるから春はきれいなんだろう。ここに来るのは2度目。前回は夏だった。

 

戸塚の駅の周りは再開発の成果らしき大きな建物、住宅も大きなマンションが多くて、全部人間が作るものなのに、作れば作るほどますます人間味が吸い込まれてなくなるような雰囲気がある。東京地方には雪の予報もあった寒い日、リハを済ませて、電車から見えた川沿いの枯れすすきの方へ散歩に行ったら、思いの外、川はいろんな生き物で賑わっていた。枯れ草色と対照的な、鮮やかで色とりどりの傘をさした小学生の女の子たちがストーリー仕立ての動画を撮ろうと走り回って四苦八苦している向こうには、たくさんの鴨、真っ黒いのや、いわゆる鴨色というのか、顔らへんが緑っぽいのから、茶色っぽいのから、それより少し体が大きくてペンギンみたいな白黒で頭の上に羽根がピラピラしているもの、サギなのか、川の際を細長い脚でゆっくり食べ物を探し歩く白いのと黒いの、セキレイたちの群れ、桜橋という橋の下というか橋の裏側のくぼみのところにズラリと鳩が並んで休み、カラス、雀、走る人、買い物袋を下げた人、犬の散歩をする人、子ども、写真を撮る人、猫に餌をあげる人、そしてたくさんの大きな黒い鯉。こんなに水鳥が来てるから川の中には小さな魚もたくさんいるんだろうな。夏にはじめてここに来た時、私のいる岸の向こう側で鯉の写真を撮ってははしゃいでいた若い中国人カップルのことを思い出した。

 

ライブも、打ち上げも、本当にどうもありがとうございました。ここに来たから会えた人たちと会えて、すごく嬉しかった。みんなにお世話になりました。また会おうね。

 

そろそろ支度をして、藤沢でお世話になっている方々と新年会。今週は宴会続きだね。