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あんなに寒かった数日間が嘘のように、なんとまあよく晴れた。コートもいらないほどあったかい。朝ゴミ捨てに外に出たら地面も濡れて春のようだった。

 

ピアニストの岡野勇仁さんに「エリ先生(勇仁さんはみんなの名前に先生をつけて呼ぶ)もそろそろ自分語りとかされないんですか?」と、去年の夏、サブリナ、拓馬、マルコ、とみんなでリハをした後、エチオピアレストランで夕食を食べる前に立ち寄った四つ木の公園のベンチで聞かれて、その時は、いや、うーん私そんなことするのかな、って確か答えたんだったのに、ものの見事に毎朝自分語りをするようになった。勇仁先生にはそんな私が見えたのかしら。

 

ベランダのお花に水をやってたら私も外に出たくなって近所のスーパーへ。あたたかくて飛び跳ねるような気持ちで出かけたんだと自分でも思っていたら、出てみると、確かに嬉しいんだけども、少し戸惑う。1月だし。春の、芽吹いてくるような気持ちにならないのはそりゃ当然だった。私は外が寒いことに慣れたり、暖かい部屋の中を楽しんだり、うら寂しい冬の景色を味わったりしようとしていたんだった。富士山がまだ真っ白なのを見て、少しほっとする。太陽はあたたかいけど、部屋の中にいると外からの風はまだ冷たくて足先が冷える。スーパーの帰りに薬局へ寄って、マスクを買って帰った。窓を開けて、少し冷たい風を部屋の中に入れた。外に出て一番うれしい気分になったのは、大家さんの敷地の土の地面に大きな大きな水たまりが出来てたことだった。

 

遠くに海の音が聞こえる。郵便屋さんのバイクがエンジンをかけたまま停まっているのが聴こえて、また走って、また停まって、と繰り返して、少しずつ音が小さくなり、走り去って聴こえなくなった。

 

こんな風にいきなりあたたかくなる日、植物って一体どんな感じでそこにいるんだろうな。鳥とか猫とか虫とかも。

 

昨日中国語の話を赤須翔くんとしていて、「この漢字は日本語ではこういう意味だけど、どうして中国語だとこういう意味なのかな、まあ順番的には逆なんだろうけど」とかそんな質問をされて、そのまま漢字についていろいろ話し合ってたら、気になってきていろんな漢字の象形文字をネットで調べはじめてしまった。漢字のことってこれまであんまり考えたことがなかったけど、象形文字ってこんなに楽しいものだったのね。白い紙に自分も試しに書いてみたら、もっと楽しくなった。歌と似てるな、と思った。

 

いつも歌っていると、特に外国語で歌っていると、この言葉(歌ってる時なのでつまり音とリズム)によって示したいと思うことを人間の声を使って表現したい時、人間ってこういう音とリズムを選んでるんだ、というのがとっても不思議で面白く感じる。そしてどの言語も今と何百年前、千年単位の昔では全く違っていて、そんな大昔じゃなくても80年代、90年代くらいの日本人の話し方だって、時々テレビで昔の映像なんかで出てくるのを見てると、今の日本語とはリズム感や音のそもそもの出し方や口腔内での響き方が全然違うように感じる。なぜか体の奥がもぞもぞして、別に恥ずかしくなる必要もないのに、恥ずかしいみたいなくすぐったい気持ちになる。

 

今夜は吉祥寺のMEGという元々ジャズ喫茶だったお店で私のトリオのライブなので、弾き語りの時にはあんまり歌わないようなジャズのスタンダード曲もきっと歌うと思うんだけど、スタンダードを歌っていると、曲の最後、フレーズの最後の言葉が "love" という曲が多い。一番最後の言葉、音なので一番耳に残るし、大事に歌いたいと思っているからか、私はいつもこの love という言葉でその曲が終わる時、「ラー」と、私の舌先が私の口蓋のアーチに触れて、なぞって下りて歯の感触に当たり、舌を離して、息を伸ばし、でも最後私は下唇を噛まないと、v としないと、この音は愛という意味を持たないということにゾクっとする。愛のような感覚は人類、もしかしたら哺乳類、みんなあるんだろうけど、その感覚を表現するために、ここから遠く海を隔てた地では、みんな、少し開いた口の中で自分の舌をなぞらせ、息をはき、下唇を噛んできたんだなんて。

 

厚木へ向かうのか、軍用機の音がすごい。