振り返る

2月になった。節分。

昨日早朝ゆみちゃんと何とはなしにおしゃべりしていたら、去年ニセコで一緒に温泉に入った感じを思い出した。翔くんとゆみちゃんと三人で行った湖、ビキと四人で行った湖、今頃全部深い雪の中かな。知床の海には流氷が来ているのかな。寒いときの北海道に行ってみたい。

 

1/31

レッスンの仕事で千歳烏山へ。今回も生徒さんにまた夕飯をごちそうになり、本当にありがたい。

食事をいただきながら、話の流れでなんとなく「普段料理とかされるんですか?」と生徒さんに尋ねたら、全く思いも寄らなかった答えが返ってきて、声が出なくなってしまった。そのまま食事を続けながら、その方は「人生いろんなことがあるからね」とおっしゃって、このよくあるフレーズがなんとすさまじい一切をくるんでしまう言葉なのか、私はただ茫然とするしかなかった。それからまた少しいろんな話をして、バス停まで送っていただいて成城までバスに乗り、私は電車に乗って帰る前に少し時間がほしくて、駅ビルをうろうろと歩いた。この駅ビルに特に興味を持ったことはなかったけど、こういう時はありがたかった。ここを行き交う何もなかったような顔した人たちも、みんなそれぞれいろいろあるのかもしれない。あるのだろう。素敵なものが並ぶお店でカラフルな小さな花がたくさん詰まったガラスの瓶を眺めて、母へ誕生日プレゼントの代わりに何かお土産が買えないかなと探した。母は誕生日がわからない。一応、この日かこの日かこの日、という候補日がいくつかあるのだが、「絶対にこの日だった、私がその証人だ」と言い張る人たちがそれぞれの日にいるので、おばあちゃんは母に説明しながらやっぱりどの日だったかわからなくなって、「山にカレンダーがなかったでしょ」という一言でいつも話が終わった。誕生日のわからない母にとって誕生日ってどんなものなのかな、と思う。どうせわかんないしどうでもいいよ、もうこんな歳だし、と母は言う。

快速急行というものに乗らなければ、小田急線でもそんなに混まず、けっこう快適に帰れるとわかった。やっぱり各駅停車っていいな。ぱっとしない駅ほど味わい深く、降りる人たちの顔を見ていろいろ想像する。

 

2/1

長い長い1日だった。ほぼ24時間起きていると、最後の方はまるで時空がぐにゃりと曲がるような、特に時間の感覚が不思議になってくる。でもいい日だった。

午後は大塚、先日ばったり会った太光くんと、太光くんは私にピアノを、私は太光くんに英語を、というクロスオーバーレッスン。レッスンと言っても、太光くんが4月台湾でピアノのレッスンを英語でする予定があるとのことで、その前にまずは私が練習台になり、そういう状況を想定した英会話レッスンをしてもらえないか、という話。しかしピアニストと並んでピアノを弾いてみると、私は本当にまあ呆れるほどピアノが弾けない。太光くんには、テクニックとかじゃなくてアイディアだよと言われて、それもそうなんだろう。そのアイディアが出てこないと私のようなテクニックのない人は本当に、ピアノの前に悲惨が座って弾いているみたいなことになる。でもそれでもピアノを触れてうれしい。やっぱり木のピアノとその響きが好き。太光くんは、6年前私が誰もミュージシャンの友達もいない東京に来て、最初にできた友人の一人だ。太光くんが The Way You Look Tonight をゆっくりのバラードで、伴奏の小さなアイディアたちを私にもわかるように弾いて見せてくれて、私は隣に座って、それをよくよく聴きながら、それがよくよく聴こえるように、小さな声でそーっとメロディを歌った。

夜は神泉でライブ。レインボーカントリーという初めてのお店に翔くんに呼んでもらって、そこがレゲエと泡盛の店で、ライブが始まるのもお客さんが集まるのも遅いと聞いて、なんだかもうそれだけで楽しみにしていた。私は最近早寝なのだけど、でも夜を楽しむ人たちが集まるお店はそうでなくちゃね。終電の時間で夜がデザインされるなんて嫌だなと東京にいるとよく思う。そういえば太光くんや小牧さんや明未ちゃんやゆりちゃんや友人たちと出会ったイントロのセッションも終電関係なしの場所だった。レインボーカントリーのライブは、NYから来日中のドラマーのデルと翔くんと私の三人で、全く何も決めない、曲順もセットリストも今日何をするかも誰も知らないライブ。翔くんがお店の名前から即興で作った曲に私がコーラスをして1stステージを始め、三人でジャズやポップスや台湾の民謡やいろんな曲を演奏し、そのステージが終わってお客さんが集まってきたところからが本番。そこにいる人、お客さんも含めてみんなで楽しむということを本当にみんなでする。翔くんが突然私の知らない誰かの曲をカバーし始めて、私がシェイカーを振りながら1番を聴いている間、お客さんで曲を知ってる人が歌詞を検索した画面を私に出し、2番から私はその歌詞を見ながらコーラスで入る。ノッてきたお客さんたちは一緒に歌う。デルは日本語がわからないので、何が起きているかなんとなく感じ取っているという感じなんだろう。でもドラムセットの代わりに持ってきたウォッシュボードで繊細かつ的確な演奏をしてくれて、とっても安心感がある。朝までみんなで喋ったり歌ったり笑ったり、途中でお店のきよしさんが三線で本格的な沖縄民謡を弾いて、お客さんのみきちゃんが歌ったり、私が自己流で歌ったりもした。朝方にはDJのジーくん(名前間違えてたらごめん!)が次々と素敵な曲をかけて、女の子たちがゆらゆら踊った。もうクタクタだったのに、ゆみちゃんの車に乗って、目を覚ますと浅草で、ゆみちゃんがモーニングしたいと言って私も一緒に喫茶店に入って、気がついたら3時間以上経っていた。心配した翔くんからゆみちゃんに何度も着信があったのに、二人とも気付きもしなかった。あの3時間はなんだったんだろう。どういう風に経っていったんだろう。ゆみちゃんの顔の上を、眩しい朝の光とその光が作る柱の影が、少しずつ横へ移動していくのを向かいの席から眺めてはいた。びっくりしたまま浅草駅まで送ってもらって浅草線に乗り、電車が京急にいつの間にか変わって地上へ出て品川を通り、青物横丁のあたりから少しずつ高い建物が減っていって、薄い青い空が広くて気持ちよく、大きな富士山がずっと私の右側にあった。今にもあちらこちらで木の枝のつぼみが花開いていくのが見えそうで、私の座っていた窓際の席も足元からぽかぽかしていて、私はやっと眠たくなって、このまま三崎口までうとうと乗っていけたらなあと思いながら、横浜に着き、乗り換えて、藤沢に着き、乗り換えて、自分の駅で降りると、駅前で餅つき大会をしていた。白い雲に混ぎれて白い半月が見えた。