樂園

今日もいい天気。冬ってこんなに毎日いい天気だったんだっけ。冬が穏やかな季節だと今まで感じたことがなかった。暖冬ということなのかな。ブラジルもオーストラリアも随分燃えてしまった。

 

台湾にもうすぐ帰るし台湾文学でも読んでみようと思っていろいろ物色していたら、ある本について書かれた文章を読んでものすごく動揺し、息を吸うのも吐くのも苦しくなった。どうしていいかわからなくなって、とりあえず立ち上がってベランダの外を眺めると、外の景色すらいつもののんびりした感じが無くて、暗いと感じた。畑の横の道を小学生くらいの男の子たちがが五人くらいで歩いてくるのが見えた。いろんな色の服を着ていた。別に目が合ったわけでもないし、彼らにとって向こうのマンションの窓のその向こうでひょっこり立ち上がる私なんてただの風景の中の点に過ぎないのだが、なんでだか、私には外の世界と合わせる顔がない気がして座り込んだ。じっと床に座っていると背中の後ろで通りを車が通る音がして、その重く低い音が近付くたび、私の心臓の音がどんどん早く大きくなってくる。

房思琪の初恋の楽園。

房思琪的初戀樂園。

どうして自分がこんな風になってしまうのかわからない。まだ本を読んでもいないのに。でも私はあの台湾の本に書かれている空気を吸ったことがある気がするのだ。ただそれだけ。何が起きたというのだろう。私の身には似たようなことすら起きたことがないはずなのに。そうだったのだろうか。椅子に座って息を吸っていることさえ苦しくて辛い。しばらく床の上でじっとした後、部屋の外の空気を吸おうとキッチンへ向かうドアを開け、ベランダへ出て、植木鉢の大文字草の新芽たちの横で枯れたまんまになっていた古い葉っぱをいくつかむしり取って、キッチンのゴミ箱に捨てた。花や土や植物が頼りになるということを、この本の主人公ぐらいの年齢の頃、私は知らなかった。本や音楽や街に出ることを好んでいた。母は空いている時間のほとんどを庭で過ごしていた。

 

今朝も、いつものように、部屋のすみのパキラの前に座って、なんだか涙が流れてきてしまった。これもどうしてなのかわからない。以前も同じこのパキラの前で、私は葉っぱや茎が成長しているのをただ眺めながら呼吸を数えていたはずなのに、みるみる泣き出してしまった。そういう自分が嫌だと思う気持ちは昔からある。かといってどうしようもないし、変わるわけでもない。どうせ変わらないならもっと堂々と泣いてればいいのかな。アフリカでは、堂々号泣していたら警察が集まってきてびっくりしたことがあった。ちょうど海辺で泣いていたので、自殺するんじゃないかと勘違いした近所の人が通報したのだ。一体何があったのか自分でもわからないが、何かにつけて、つけてなくても私は泣く。小さい頃からそうなのだ。父が脳梗塞を起こした後入院していた病院のリハビリ室で、年配の男性たちが数名、皆でおいおい泣きながらリハビリしているのを見てギョッとしたことを思い出す。「脳梗塞やるとみなさん涙もろくなるんですよ」と、看護師さんだったか、どなたか患者さんの家族だったか、言われたのを覚えている。恐ろしい光景だった。私もあんな感じだ。泣きながらリハビリしながら生きてるみたいだ。

 

昨日は都立大Jammin'で、小牧さん、明未ちゃん、吉良くんとライブ。1stセットが楽しかった。マイケル・ジャクソンの好きな曲、小牧さんのアレンジで歌ってたのしかった。音を出してみてすぐに小牧さんがどんなことしたかったのかわかった。みんながすごかったな。みんなのすごいのに圧倒されて終わった。こういうライブがもっとできたらいいなあ。マスター、バンドのみんな、来てくださったみなさま、本当にどうもありがとうございました。

 

今日は立春。日曜日のSTAXワンマンライブの中身をいろいろ考えたいから、モールにでも行こうかな。モールのあの感じの中をうろうろしていると、自分なんてなんでもないという気分に包まれて、妙に心がやすらぐ。モールみたいな安っぽいやすらぎが不思議と一番心安らぐ時があって、なんとなく今日はそんな日だという気がする。本屋さんでは『房思琪の初恋の楽園』を探しちゃうだろうか。こんなこと書くから探しはするだろう。でもさっきより少し丈夫になってるからたぶん大丈夫。

 

先月末、もうかれこれ10年近く愛用していた何でもたくさん入るカバンが壊れた。カバンが壊れる前にすでに、気に入って使ってたお財布も壊れた。お財布の方は去年買ったばっかりだったんだけど。でも代わりのカバンもお財布も、モールで買おうという気にはならないんだよなあ。いくら心安らいでも。