いつも通り

Eri Liao(エリ リャオ)ブログ 2020年4月9日 台北

やっと晴れた。空が明るい日に外に出られて本当にうれしい。都会の真ん中にいても天気がいい日はうれしくてむずむずする。

 

昼間の台北はまだそれなりに街が機能している。人が行き交っていて、近くの朝ごはんのスタンドも開いているし、いつものパン屋さんは相変わらずお客さんが多く、いつものカンパーニュが売られてて、いつものコーヒー豆屋さんは相変わらずマイペースで、いつものお兄さんがアコースティックギターを改造して作ったスピーカーから現代的な音楽を鳴らし、これはイギリスのDJによる電子音楽だよと教えてくれる。郵便局では封書や小包と番号札を持った人々が椅子に座って順番を待ち、窓口の向こうの郵便局員さんたちは仕事をしながらどこのお店の何がおいしいから絶対食べた方がいいとかそんな話をみんなで熱心にしている。埃っぽい古道具街はいつも通りお客さんがいなくて、店の前に椅子を出しておじさんたちが座って茶を飲み、「おい、マスクしろよ」などと言っているのがこれまでと違うくらいか。スーパーでは日曜日に75%アルコールを求めて並ぶ私たちに整理券を配ってた店員さんが、棚に野菜を整列させている。

 

いとこは満員電車を避けて、このところいつもより早く出勤している。電車が混むからそろそろ電動バイクで通うようにすると言う。

 

おばは今日病院で診察のある日で、予約の時間より1時間早く着くように家を出て、早く済んだと言って早々に帰ってきた。お土産に烤鴨を1/2羽買ってきてくれて、袋を受け取った母は、両手を広げて立つおばのナイロンジャケットににアルコールをしゅっしゅと吹きかけた。

 

おじいちゃんはいつものように1日2回ご飯を食べて、あとは大体寝ている。大体寝てるけど、時々部屋を覗くと目を開いてこっちを見ている。いつもちゃんと目が合うように思うが、「ほとんど見えてないみたいよ」と母は言う。ぼっと立ってる私を指さして、母が「えりだよ」と言ってもあいまいな顔をするが、「エリチャンだよ、私の娘」とタイヤル語で言うと思い出してくれる。タイヤル語のえりちゃんは「ちゃん」にアクセントがつくエリ・チャンになる。

 

母はいつものようにご飯を作り、おじいちゃんにご飯を食べさせて、私たちとごはんを食べて、おじいちゃんの下の世話をして、ベランダの植木の手入れをして、時々洗濯か掃除をして、スマホで免疫力を上げる食べものを調べて、facebookにいいねをし、時々長電話をし、買い物に行き、これまでほとんどつけなかったテレビを見るようになった。

 

私は夜散歩に行く。朝カノコバトのヒナを見に行く。日々草の種が育つ前につまみ取る。ニュースを見る。コーヒーを淹れる。鉛筆を削る。食器を洗う。お茶を淹れる。枸杞の実をひとつかみとってマグカップに入れ、お湯を注いで飲むとおいしい。メールの返事を書く。まだ書けていない返事のことを思い出す。伸びた髪をいつ切りに行こうか、鏡を見て手櫛で梳かす。髪が抜けなくなるまで繰り返す。

 

今夜はやっと月が見えた。とてもいい夜だった。月は丸く大きくとてもきれいで、まるで公園の電灯までもが森を照らす月のように見えた。それぞれの月の下、人々はベンチで寄り添い語らっている。私はいくつもの月と語らう人々を通り過ぎ、一番高く遠い月は、歩く私と同じペースでどんどん向こうへ、枝の上からビルの合間へと動き、道を曲がると見えなくなった。