くり返す

Eri Liao(エリ リャオ)ブログ 2020年4月10日 台北

昨日はほとんど満月に見えた月が、今日は随分欠けて真っ赤だった。

 

昨日の散歩は気持ちがよかった。歩き自体は今日の方がよく歩けたけど、歩く気分は圧倒的に昨日が気持ちよかった。ガジュマルの木の間にウォーキング用の赤土の道がずっと前へと続くのを、今日の私は斜面の上から見下ろして、学校のグラウンドみたいだな、と子どもの頃走らされたことを思い出したりしたが、昨日の私はその校庭みたいな赤茶色の地面の上を、バレリーナみたいに両足を前後に伸ばしてまっすぐ先へ先へと何度もジャンプしたい、そんな気持ちで歩いた。そんなジャンプをしたのは高校の部活が最後で、バレリーナのように上手には飛べなかったし、それでも25年後に突然よみがえってきたのだから、身体は身体で語彙みたいなものがあって、記憶したり再生したり夢見たりしてるんだろう。今までみたいに歌ったり、お酒を飲んだり、長時間電車に運ばれながら外の景色を眺めたり、自転車を漕いだり、砂浜を歩いたり、常日頃していたことをしばらくしていないから、身体が思い出し作業に入ってるんだろうか。なんだかたまらなくなって、こんな時期に、と思いながら、雲門舞集の成人クラスに問い合わせメールをした。体があって、踊れるうちに。まだ誰かと踊れるかもしれないうちに。

 

今夜はメールの返事を書きながらマルセロが自宅で演奏しているライブ配信をかけて、とても心が安らいだ。トークはほとんどポルトガル語で話しているから何を言ってるのかわからなくて、そのことにも心が安らいだ。人の声を聴いていたいけど、意味が聞きたい訳ではない時がある。

 

ゴミ収集のトラックはいつものように「エリーゼのために」を流してやってくるが、ひと回し流れた後、台北市長が「我是柯文哲」と挨拶して社交距離(日本語では社会的距離)を取るようアナウンスする録音が続けて流れるようになった。台湾のゴミ捨ては日本とやり方がずいぶん違って、うちの近くは朝ではなく、夜、決まった時間にゴミ収集車が「エリーゼのために」か「乙女の祈り」を鳴らしてやってくる。それくらいの時間になると近隣の家々のドアがパタリパタリと開き、中からゴミを持った人たちが出てきて、いつの間にか近所の人たちが列になって、ゴミを片手にみんなで集合場所に向かい、そのままみんなでトラックを待ち構える。私はこの光景が好きだ。トラックは一般ゴミ、リサイクル(プラスチック類)、紙類の合わせて3台が並んで来て停まる。市長の声を聞きながら、近所の人同士互いにタイミングを計りあってトラックの左右に分かれて順番を待ち、私は紙ゴミトラックの荷台で作業する係の人に「謝謝」と束ねたダンボールを渡し、母は一般ゴミトラックの回転ドラム目がけ、おじいちゃんのオムツが詰まった台北市指定の水色のゴミ袋を遠心力で投げ入れる。

 

ゴミ捨ての後、母とスーパーへ牛乳を買いに行く。「みーちゃんにいろんな牛乳あげてみたけど、これ以外絶対舐めなかった」のが理由で、母は光泉というメーカーの牛乳しか買わない。帰り道、通りかかる壁一面に香港のデモを描いた木版画が貼られてあり、その横にはたくさんの付箋が隙間なく貼られ、どれも何かメッセージが書かれている。よく見てみようと思って近付いたところで、いとこから「姐姐、家にいる?鍵置いてきちゃった」と連絡が入る。私を姐姐と呼ぶ世界でたった二人のうちの一人。家にいるはずのおばは今朝彼氏が迎えにきて、また月曜に戻るといって出て行ったので、きっとブザーを鳴らしても返事がなかったのだろう。おじいちゃんってブザーは聞こえるんだろうか。「猫見てるからゆっくりでいいよ」といとこが言う。骨董屋街の脇の花壇のところにいるんだな、とわかる。お腹と胸もとの白い茶トラの野良猫があそこを自分の家のようにしていて、みゃあみゃあ鳴いてよく懐くので毎日複数の人に餌を与えられており、どんどん体型が丸くなってきた。気分が乗ってる時は、みゃあみゃあ言いながらそのへんまでお見送りもしてくれる。いとこは案の定、花壇の縁に腰かけている。その向こうに猫が丸くなって、そのまた向こうのベンチにロング缶のビールを2本並べて男の人が一人のんびりタバコを吸っている。いとこは母と私を見るなり「さっきまでもう1匹、新しい猫が来てた」と慌てて言う。そう言ったそばからその新しい猫が路地裏に現れ、まん丸い目で私たちを眺め、走って横切る。家まで30秒くらいを、笑ったり喋ったり、母といとこと私、3人で帰る。