巣立ち、出戻り

Eri Liao(エリ リャオ)ブログ 2020年4月11日 台北

朝巣立ったヒナが、夕方戻ってきた。

 

早朝、窓の外から、バタバタ、バタバタバタ、とひどく不器用な感じの音がして、もしかしてと思ったまま二度寝してごろごろしていると、ベランダから母が窓から私の部屋を覗いて「見た?行っちゃったよ」と声をかけた。バタバタはやっぱりヒナの音だった。母によると、掃除しようとベランダに出てきた母に驚いたヒナは、巣の中で立ち上がり、羽を大きく広げてバタつかせたかと思うとそのまま飛び立って、向かいの白いマンションの壁に激突。それがヒナの生まれてはじめての飛翔だった。運の良かったことに、追突したちょうど真下に庇があり、壁に沿ってひゅるひゅると垂直に落ちて行ったヒナは、庇の上で集っていた他の鳥たちの輪の中心にズズッと不時着したらしい。

 

朝5時を過ぎる頃、まずバイクが1台通り過ぎる音がして、それから少しずつ、あちらこちらで鳥が鳴き始める。私の家は台北の典型的裏通りの住宅街にあり、通りの両側とも長屋のようにマンションがびっしりと並び、前後左右の建物は私の部屋がある7階と同じか、やや低いか高いか。この街の作りがちょうど峡谷のようになっているのか、鳥たちの美しい鳴き声がまるで谷間のように瑞々しく反響して聴こえる。せっかくだからもっとよく聴こうと思って昨日の夜に窓を開けて寝たおかげで、毎日会いに行ってたヒナの巣立ちこそ見ることはできなかったが、せめて音は聴こえたなと思いながら、でもちょっとさみしいな、そのうち顔を見せに来てくれるかな、でも大人になってから来たら私見分けがつくかな、と心細かった。ここに来て今日でちょうど2ヶ月、自分の知っている世界がみるみる焼け野原になっていくのを、息を潜めてじっと眺めるしかないような気持ちで過ごした毎日だった。友人を招き入れることもなく、隠れ家になってしまったようなこの家に、まるで首に水玉のスカーフを巻いたようなかわいいカノコバト2人組が訪れて、ベランダの隅に巣を作り、昼も夜も卵を抱いて、ついにめでたくヒナまで産まれたというのは、唯一心から明るい気持ちになれる出来事だった。そんなのハトの方じゃ知ったこっちゃないだろうけど、人間がますます苦手になってしまった人間の私も、巣の中のヒナと目が合うと、何も考えずやさしい声になって人間の言葉で話しかけていて、落ちている花殻と落ち葉を拾いながら、私の身体の中でそっと響くくらいの小さな声で、浮かんでくる歌が自然に止むまで歌っていた。

 

4時に美容院の予約があるからといとこが出かける支度を始めると、朝からずっと真っ暗だった空からついに雨が大降りで降ってきた。美容院に行く気がここまで失せる天気もないな、と思いながら、こっちはコーヒーでも淹れようと思って台所へ向かうと、リビングでスマホをいじっている母が「また2匹来てるよ。片方小さいから夫婦かな、よく見えない」と言う。そろりそろり近付いてみると、伸びた藤の木の葉っぱのかげに確かに大小2匹並んで雨宿りしている。あの見慣れたくちばしはヒナだ。ハトってくちばしの成長が一段と早いのか、出来たてのかぎ爪のようなくちばしは、やっとハトらしくなったヒナの顔の中に釣り合わず大きく不格好だ。首を縮めてじっと丸くなっているお母さん(お父さん?)の隣で、濡れて寒いのか、肩から羽をわさわささせて落ち着かない。しばらくすると、親鳥に倣っておまんじゅうのように丸くなってじっと動かなくなった。ヒナこんにちは。全身の毛がまだふわふわしていて、お腹の下の方が白い。バラの花びらやベゴニアの花殻にまぎれて落ちているのをよく拾った、短くて白い小さなふわふわの毛。

 

リビングのピアノの椅子に座って、そのまま1時間ほどカノコバト親子を眺めて飽きなかった。親鳥は一人で飛んでいって、帰って来て、ヒナに餌を口移しして食べさせて、というのを2回繰り返し、3回目は帰ってこなかった。一人になったヒナは一人前に毛づくろいなどして、夕方5時過ぎにはペトレアの枝とコルディリネの赤い葉の間でおまんじゅうの姿勢のまま動かなくなり、外はまだまだ明るかったがどうやら寝たようだ。

 

真っ暗になった後も何度もリビングから窓の外を覗き、丸っこい影が見えるたびうれしかった。私の部屋の窓からもよく見えた。9時ごろ帰ってきたいとこは上機嫌で、ずいぶん短く切ったね、かわいい、かわいい、こっちの方がかわいいよ、と母もはしゃぐ声が聞こえた。私も混ざって、3人でニュースを見ながら話した。ニュースはほとんどがコロナウイルスにまつわる話題だ。先月入籍したばかりのいとこは、この疫情(と台湾で言う。日本語で短く言うならコロナ禍?)のために結婚式を延期することにして、台中への引っ越しも延期、週末に少しずつ荷物を運び出したり、台中に住むだんながうちに泊まりにくることもほとんどなくなった。テレビには総統や内閣の面々はじめマスクを量産し広く国民に行き渡るために貢献した人たちが次々と映され、それを率いた「マスク国家隊指揮官」という役職名にみんなで笑ったり、WHOという馬鹿馬鹿しいほど大きな欺瞞に、いとこが「会社でテドロスが話してるあの動画見て、今すぐあいつを殴りたいくらい腹が立って仕方がなかった」と再び飛び上がらんばかりに腹を立てたりした。これは私たち家族のささやかな幸せな時間なんだろう。おじいちゃんがいて、母がいて、私、いとこ。もしかして私は見送る人として、生まれたこの家にまた戻って来たのかなと思った。