14度

Eri Liao(エリ リャオ)ブログ 2020年4月13日 台北

たった2年ほど少し田舎に引っ越しただけなのに、都会での暮らし方がいまいちよく掴めない。あんまりあちこち遊びに行けないし、人に会いにくいからかもしれないけど。東京やニューヨークに住んでいた頃は台北が楽しくて楽しくて仕方なかったのだが、今では海とか神社とか、平屋造りの家、青くて広い空、電線のある空、人の家のお庭、海へ向かう川、みかんのなる木、住宅地の畑、大家さんちの木々と花々、ただの空き地、ちょっとした駅前のにぎわい、いろんなところから見える富士山、線路沿いの草花、134号を平塚に向かう西日、だだっ広い薬局なんかが妙に恋しい。みんな元気かな。

 

台北は今日も寒くて、ほとんど布団に包まって過ごしたが、上はTシャツだ。バオバブでようすけさんから買った薄手で袖も短めのやつ。台北を歩いていると、上はダウンで下は半ズボン素足にビーサンという着こなしがすごく一般的で、真夏以外必ずたくさん見かけるこの人たちは一体寒いのか暑いのか、と常々不思議に思っていたが、今日ようやく、上下アンバランスな防寒がこの土地にはちょうどいいんだと体感できた。台北の寒さは寒いけどホンモノではないというか、今も14度だけど、本当の寒さなんて知らない土地のたかだか14度という感じで、14度の先に10度、5度、2度、、、このままその気になればマイナスになるんだぞ、という底知れぬ冷たい世界への入り口の14度と全然違って緊張感がない。私ってこんなところでぬくぬくと育ったんだな。

 

台北の街を歩いていると時々、もし母があの時私を連れて日本へ行くと決心しなかったら、あのまま私がここで母と入学手続きに行った金華國小に通い、金華國中に通い、高校受験をして、もしくは小中はあのまま日本人学校に通い、高校はその向かいのアメリカンスクールに通い、そういう少女時代を過ごしていたら私は今頃どんなだったかなあと空想する。カフェで同じくらいの年頃の女性を向こうの席に見かけたり、街で大学生くらいの、30代くらいの女性とすれ違うと、あり得たかもしれない自分の姿を一瞬想像する。「あの時はそれが正しいと思ってやった」と戸籍謄本をちらりと見て母が先日私に言った。母も70に向かうし、もうあんまりいろいろ尋ねたいとは思わなくなった。「そうだよね」とだけ相槌をした。

 

ちょうどお昼ごろおばがうちに戻ってきて、リビングでお昼ごはんを食べる用意をしているところだったので母とおばと3人でニュースを見ながら一緒に食べた。娘家族や彼氏と週末過ごせたからか、おばは少し元気そうに見えた。母もうれしそうにして、小さなこといちいちに朗らかに笑って、「エリと二人しかいないのに間違えて目玉焼き3つも作っちゃったなと思ったてたら、ちょうどいいところに帰ってきた」と横に座るおばの小皿に目玉焼きを取り分け、にんじんは目にいいし美味しいよ、キクラゲも身体にいいよ、特に女性にすごくいい、この豆は誰々からもらってあの人のところは農薬使ってないから自然でおいしい、あれもこれも、と少食のおばに勧めては断られてうれしそうに笑った。

 

カノコバトのヒナはうちのベランダを家のように思っているのか、朝も昨日の夜と同じブーゲンビリアの枝にいて、昼頃少しいなくなったかと思うと、3時頃バタバタバタとまた不器用な音を立てて戻ってきて、コルディリネの葉にぶつかったがなんとか藤の枝に無事止まった。ベッドで布団をかぶっている私から窓越しに毛づくろいするヒナが見えて、時々目が合う。何を見ているんだろうな。