金華官邸

Eri Liao(エリ リャオ)ブログ 2020年4月21日 台北

下の階の家を覗いたらカノコバト。たぶんお母さんバト。うちのベランダの縁から、翼も広げずダイブするように下へ落ちて行くのをそういえばよく見かける。

 

このお母さんは、私たちがご飯を食べ始めてしばらくすると、いったいどこでどう察知しているのかパタパタパタ音を立てて飛んでくる。部屋の中がよく覗ける定位置があって、そこからじーっとこっちを見たり、ベランダの手すりを行ったり来たりして、立ち止まるとこっちを見ながら首をひょこひょこ「まだかな?」と言うように左右に動かす。私たちはたぶんエサ係だと思われている。ごはんを食べ終わってリビングでぼーっとしていると、またすかさずカノコバトがパタパタと飛んできて同じ動きでアピールを始める。エサは母が近くのスーパーで買った五穀米をあげている。普通においしいと思って食べていたけど、何が気に入らなかったのか母は「これあんまり美味しくないよね」と同意を求めるように言って、気付くと五穀米はいつの間にか使っていない植木鉢の受け皿に入れられて、毎朝ベランダに出されていた。最初は1日1回朝だけあげていたが、こっちが夕ごはんを食べていると、「そっちは2回食べてますよね?」とでも言いたいのか、お母さんバトがまた飛んできてはこちらを覗いてくるようになり、しまいには抗議のつもりか、まっすぐうちのリビングへ向かって飛んできてそのまま窓ガラスに激突するようになった。こういうコミュニケーションのとり方って人間にもあるよなあと今では思ったりもするけど、はじめは随分びっくりした。衝突してくる方もかなりの衝撃を全身で感じているんだろうが、目撃する側にも、肉弾になったハトがガラスの平面に「どん」と急にぶつかる重たい音や、その後もガラスがガタガタ震える振動を感じて伝わってくる衝撃がある。先月だったか、台北の何の変哲もないそのへんの道で信号待ちをしていると、向かいから横断歩道へと右折してきた車が私の目の前で2台続けて追突した。目の前で車が突っ込むのを見るのははじめてだったので、衝突音の大きさにしばらく呆然とした。はじめて相撲を見たときも、力士の肉と肉がぶつかるびしゃーんという音の、残響の尾ひれみたいなのまで空間に鳴り渡るのにびっくりした。小学3年生の頃には校庭で、誰かが蹴ったサッカーボールがこっちにまっすぐ向かってきたな、と思った瞬間そのボールを顔の正面で受け止めてしまったことがあったが、あのバシッという音は重く短かった。ボールを受けたと同時に目の前が真っ黒になって、その後も顔から始まるびりびりする余韻のようなものがしばらく残ってすぐには動けず、誰かが保健室に連れて行ってくれた。母は「ハトって目見えないのかね、ちょっとバカかね、あーびっくりした」とどうでもよさそうにぶつぶつ言ってたが、五穀米は今では1日2回出されているので、あの突撃は母にも少し影響を及ぼしている。

 

ヒナは2日に1回くらい私の前に来る。本当に目の前まで飛んできてくれるもので、ベランダで植木の手入れをしていると、バタバタと相変わらず不器用そうに飛んできて、私がいじってる植木のすぐそこに止まって目が合うので、一応小さく挨拶をしている。数秒滞在するとまたすぐどこかへバタバタと飛んで行く。向こうの屋根からこっちを見ているなという時もある。ヒナの首回りにはカノコバト特有の白黒水玉スカーフみたいな模様はまだできていなくて、ねずみ色で小ぶりで産毛がちょこっと飛び出しているカノコバト型のカノコバト顔の鳥、という感じ。手すりの上を歩くのも時々片足を踏み外してバランスを崩したりしていて、ハトにもハトらしい動作が身につく前の段階というのがあるんだなあと新鮮な気持ちになる。昨日は向かいのマンション目がけて飛んできたはいいが、着地できると思って飛んで行ったところがただの壁だったようで、何の出っ張りもない壁を前にして2、3メートル右往左往していた。右往左往する鳥というのもいるものだ。

 

33度もあった台北も突然20度台前半と涼しくなって、またみんながビーサンのままダウンを着ている。おばは家の中でもダウンベストを着て、ソファの上でも布団をかぶっている。雨が降っているので今夜の散歩はおやすみにして、夜、ゴミを出しにだけ外に出た。今ではほとんどマンションばかりのこの辺りも、私が子どもの頃には一戸建てがずいぶん建っていた。今でも年季の入ったコンクリートに瓦屋根の平屋がいくつか残っていて、開いている窓を少し覗くと、蛍光灯の白いあかりと食器棚、その上の置き物、日めくりカレンダーなんかが見えて、人がいる気配がする。たくさんあった木造で朽ちかけの日本家屋も年々減っていったがまだそれなりに残っていて、ほとんどが公共建築として美しくリノベされ、それぞれ文化的で歴史的なサロンとしての役割を与えられて再生している。うちから一番近いセブンイレブンの向かいには、この辺の一戸建てにしては敷地の広い家が昔からあって、ここは外壁が高くて中が全く覗けない。鉄の板のような大きな門の脇には大きなパラソルが立ち、そのまた脇に通常一人、時々三人くらいの警備員が昼も夜も立っている。ちょうどこのたいそうな家の前がゴミ収集場所になっているので、時間になると近所の人たちがここの家を囲むように、警備員に並んでゴミを持って集まる格好になる。夜8時45分、3台のゴミ収集車がやってきて前に停まり、作業員が荷台からオレンジ色の巨大なバケツを二つ降ろし、その中にみんなで順番に腐りかけた残飯や野菜屑なんかの汁を飛ばしながらどんどんと生ゴミをこぼしていき、特に蒸し暑い夜なんかはマスク越しでもなかなかの臭いが漂っているのがわかる。母は今夜もトラック後部の光る回転板を目がけてスタスタ歩き、おじいちゃんの大小便をくるんだオムツを詰めて口をしばったずっしり重いゴミ袋を遠心力で放り投げている。紙ゴミ回収トラックの列に並んでいる私の前の男性は、荷台の上の作業員に「包大人 Dr. P」と大人用オムツの紫色のロゴが印刷された段ボールを手渡して「謝謝」と言っている。毎晩他人の家の目の前でこうして大量のゴミや汚物をみんなでやりとりするというのはなかなか興味深いというか、この家の家主であるお金持ちだか偉い人は、それなりに心が広いかよっぽど事情がない限り引っ越したくなるよなと思った。この家には誰が住んでるのか母に何度か聞いたことがあるが、わからないと言われて特にそれ以上知ろうとしなかったが、そういえばゴミのトラックを待っている間、相合傘で腕を組んで歩く中年夫婦らしき二人組が目の前を通っていって、夫の方がこの家を指差しながら、行政院長がああだこうだと奥さんに話しかけていたのを思い出した。調べてみると、ここの家は金華官邸と呼ばれる行政院長、つまり日本でいう首相の官邸だった。ということは永田町の首相官邸の前に「乙女の祈り」を大音量で流してゴミ収集車が夜な夜なやってきて、赤坂あたりの住民が臭う生ゴミやうんこ付きオムツなんかを持って集まってはトラックに投げ入れるような感じか、と想像してみたけど、そんなことは日本では絶対にあり得なさそうだし、そもそもあのあたりに住む人はあんまりいなさそうだ。