五月に

Eri Liao(エリ リャオ)ブログ 2020年5月3日 台北

五月になった。

いろいろメールをくださったり心配して連絡くださった方々にお返事もできないまま。ありがたいメッセージをいくつもいただいてとてもうれしかった。けどうまく言葉でそう返すことができなかった。もうちょっと待ってね。しばらく非常に落ち込んでいて、今やっと「落ち込んでいました」とここで言えるくらいにはなって、回復し始めているんだろう。元気になりたいと思うようになってきたので、のんびりあともう少し。

 

のんびりした気分でなるべく過ごすようにしてるけど、外は真夏さながら。昨日も今日も34度もあって、家の人がみんなそれぞれの場所で扇風機の風に吹かれてごろごろしている。今日も近くの文房具屋にいろいろ買いに行きたかったけど、家でじっとしていてもじんわり汗をかくので、日中は外出をあきらめ、みんなにならって長い長い昼寝をした。文房具屋、特に師大夜市にある2階建ての文房具屋さんは私の長年のパラダイスで、暑い時期は冷房も効いていてまさに極楽。でも今日はがまん。今週の中半、少し調子がよくなってる気がして、調子に乗ってちょっと出かけたらまたすぐに寝込んでしまったので、なるべく用心している。木曜日、朝、中医クリニックまで歩いた帰りに東門市場を通って、立派なバナナ、実の先に枯れて茶色い花の名残りまだくっ付いている獲れたてのをひとふさ107元で買って、家に戻ってお昼ごはんを食べた後、豆乳がどうしても飲みたくなって、瓶を持って近所の豆乳屋さんまで買いに行き、ついでにセブンイレブンで予約していた母・おば・おじいちゃん3人分のマスク2週間分9枚x3、全部で27枚を受け取りに行って、マスク受け取りに来た人限定セールでコーヒーLサイズ買5送5(5杯買ったら5杯プレゼント)だけどいいですか?とレジでお兄さんに言われると久しぶりにコーヒーも欲しくなり(最近眠れないのでやめていた)、でもLサイズ10杯はさすがに多いので買1送1にして、無料分1杯をレシートにメモしてもらって1杯だけ持って家に帰り、夕方、母とおばと3人でバスに乗って、いとこの家へ生まれて1ヶ月ちょっとの子猫5匹を見に行った、それだけで夕食後に身体が音をあげてしまった。少しでもどこか不調だとアレルギーを起こしやすくなる体質で、猫の毛に反応したのか(いとこの家は子猫5匹に加えて、その両親猫、大型犬1匹、小型犬1匹、と非常に動物が多い)下唇の左半分だけ異常に腫れ上がり、アレグラを飲んで、自分の使った食器も洗わないままベッドで横になった。ここ数年たいした養生もせず、容量の小さい私としては非常に忙しく、それでも体調を崩さずに毎日過ごせたことは20代以降の自分を思い出せば奇跡的だった。喉元過ぎれば、と言うけど、面倒な体質のこともほとんど忘れて健康体の気分で過ごしていて、そんな私に心身もかろうじて同意してくれていろんな無茶を許してくれていたのかもしれない。そういえば私には数年に一度、寝てばかりの日々というのがやってくる。学生の時にはじめて行った大学のカウンセリングルームでは「それは一度死んで、また生き返っているんです」と言われた。小学校の時の同じクラスの南くんと髪型までそっくりの南さんという若いカウンセラーだった。そう言われてみれば、家賃と食費を免除してもらって横たわっていられるのは死人と同じで、免除してもらえる代わりに、つい2ヶ月前まで大切にしていた生活、収入、少なかった貯金、仲間、友人、彼らとの時間、仕事、楽しみだった新しい仕事の予定、家、少ない持ち物、好きだった場所、風景、それらすべてから遠く離れてどこにも手が届かない。家賃と食費は私の日々の主たる悩みで、特に家賃の悩みからは解放されたいものだといつも思っていたけど、まさかその悩みと引き換えにそれ以外すべてと言ってしまいたくなるほどこんなに多くのものと引き離されているのがやはりショックなのか、私と仲のよかった人はびっくりするだろうけど、こちらに来てほぼ全くお酒を飲んでいない。2ヶ月くらい一口も。飲もうという気持ちにならず、スーパーのお酒コーナーを時々眺めて素通りしている。

 

ほんとうは今ここほど冷えたビールがおいしいタイミングもないだろう。五月といえば、時々肌寒かった花ざかりの春の奥から突き破ってこみ上げてきらめく新緑、すがすがしい陽射し、木陰のやさしさ、私が覚えているのはそういう季節だったが、ここ台北では五月はただひたすらに蒸し暑く、空、雲、大気、全てのしかかるように重く、昼の間は太陽に熱されてぶ厚いもやの中を口を結んでのっそり搔きわけて歩いて、頭の上を時々飛んでいく鳥が道につーっと影をつくる時は、一瞬暑いことを忘れる。日が沈んで夜になるとようやく息がつける。よく昼寝するせいか夜中もしばらく目が冴えて、タオルケットから出した脚に窓から涼しい風が吹いてくるのが一日で一番気持ちいい。

 

昨日も文房具屋に行った。文房具屋へ行くのがリハビリのようになっている。空っぽなファイル、まっさらなノート、何も記入されていない現金出納帳や領収書、芳名帳の間を目的もなくぶらぶらしていると、治癒されるような感覚がある。売り場の中で一番大きなノートを一冊買って、和平東路を渡り、仙草と黒糖の入った大きなミルクティを買って、まだ立ち入り禁止の師範大学キャンパスの端、鋼鉄でできた多辺形のテントのような師大美術館の外壁沿いにある、いつもあまり人が座らないベンチに腰かけた。夜にこのベンチの横を通りかかると、時々、脇にかばんを置いてひとり、飲みものを手にのんびりしている女性がいる。家に帰る前の自分一人の時間をたのしんでいるのか、ぼんやり足を組んだ特徴のない姿が印象に残っていた。ベンチに腰かけた私は太いストローからちゅうちゅうと仙草ゼリーもミルクティも同時に、あっという間に全部吸い上げてしまった。もっともっと吸い上げられる気分だったが、カップの底にはミルクティが1ミリほど残るばかりで、吸おうとしてもストローがごぼごぼ言うだけで、水分とゼリーで腹がふくれていた。歩いて家に戻る前に、母のお気に入りのパン屋さんに寄って、ドライフルーツ入りのカンパーニュ、かぼちゃのパン、衣をつけて揚げたカレーパンのような見かけをした客家酸菜というおかずパンを二つ、母とおばへのおみやげに買った。台湾ではしばらく新規感染者ゼロの日が続いた。「ここで気を抜いてはいけない」とCDCの記者会見では陳時中が毎朝毎晩穏やかな口調で国民に語りかけているし、日本で報じられているように「封じ込めに成功」なんてことは誰も言わないけど、マスク姿で用心する台北の人たちも、社交距離について神経質になることは自然とやめたようだ。気がつけば私も。労働節(メーデー)の連休中で、小さなパン屋さんもいつもより人が多く、トングとお盆を取る前に手を消毒する人は少ない。

 

近くの活動中心(公民館)の花壇にパイナップルが突如にょきっと現れた。スーパーに並んでいると目立つけど、あざやかな花たちの間でこうして生えているパイナップルは地味で、夜いつもここを通っているのに気がつかなかった。食べごろまで育って誰かに刈り取られるまで、毎日見に来たい。