たのしみ

Eri Liao(エリ リャオ)ブログ 2020年5月8日 台北

ずっと家にこもっていたが、最近散歩以外にも外に出るようになった。行き先は近所のカフェか中医診所か。帰りに市場やスーパー、本屋に寄ったりもする。近所の金石堂書店はこの間まで入り口に検温と手指の消毒をする係の人が立っていてものものしかったが、昨日中医の帰りに立ち寄ると、もうそれもなくなっていて、立ち読みの人、座り込んで読む人が戻っている。隣の鼎泰豐には20分待ちと表示されていた。観光客がいなくてもこんなに混むものだったのかと感心する。外国人のほとんど入れなくなった台湾だが、こんなことになる前、ここはいつも観光客を中心に1時間くらい行列ができていて、大学病院みたいな電光掲示板に自分の番号が表示されるのをガイドブックをじっくり見ながら待つ人たちや、外国だから解放されているのだろう、日本国内では見かけないほど大声ではしゃぐ日本人たちなどが入り口付近に群らがっていた。台北に観光で来る日本人のほとんどがここに小籠包を食べにくるので、ちょっとした知り合いから親しい人まで、台北に来たことのある人のほとんどが私の実家から徒歩5分くらいのところでうろうろしていたのかと思うといつも不思議な気分になった。鼎泰豐は最近、道の向かいに席数のより多い新店舗をオープンしたところで、当然ながらどちらの店も、中を覗くのも心苦しいほど客がいなかった。観光客も地元民もいなかった永康街だが、このところ着々と人が戻ってきている。

 

日本ではみんなどうしているんだろう。カフェとか行ってるのかな。やってるのかな。小籠包屋なんて不要不急だろう。藤沢に引っ越してからは自分の家がいつも心地よくて、パソコンを持って外に出たりなど一度もしなかった。実家はつくづくありがたいけど、自分の家があるってやっぱりいいもんだ。母が台湾から遊びに来てくれるのがいつもすごくうれしくて、なけなしの有り金をはたいてもてなしたが、途中からそれが母をかえって不安にしていたようだった。

 

ファルコンから、ブックカバーチャレンジというののバトンを回してもいいかと連絡があった。回していいか連絡くれるなんてみんな律儀だな。だいぶ前に水ゐ涼ちんからもうたつなぎというのを回してもらっていたが、目の前に出されたバトンを取れずにおろおろしたまま1ヶ月ほど経ってしまっている。走る方のリレーも私はそんな感じだった。応援するのはすごくワクワクして運動会でいちばん大好きだったけど、自分が走るとなると、バトンは落とすわ、みんなが勢いよく走ってくるから拾いにくいわ、偶然うまく拾って走り出しても、歓声が聞こえると思うと、エースのような人なんだろう、私の横をスーッと見事に駆け抜けていくのだった。

 

私の父は時々本を書いたりする人で、家には敷地内に独立した書庫があって(たぶんそれが父の長年の夢だった)脳梗塞を起こしておそらく文章が読めなくなっていたはずの頃も、休みの日はよくひとりで書庫にこもって本をあれこれ並べ替えたりしていた。それに対して私の母は、自宅の中に何万冊とある本を一度も手にとってみようとも思わない人だった。家具の一部、主婦として整然と片付けてみたいが手をつけにくいもの、っていう感じだったんだろう。母方の親戚で本を読む人っておそらくほとんど誰もいないんじゃないだろうか。どの親戚の家へ行っても本棚というものを見ない。さすがは文字のなかった原住民、と思ったりするけど、原住民全てがうちのようではないので、単純にうちの人たちが本を読まないというだけのことなんだろう。私はというと、中学生の途中くらいまで、特に小学生の初めの頃は本当にたくさん本を読んでいた。日本に引っ越してはじめて通った日本の小学校の図書室の、シャーロックホームズの棚、江戸川乱歩の棚、広島・長崎の棚をよく覚えている。大人になってからもなんとなく本は読んでいるが、あの頃ほどにはっきりと物語を欲する気持ちがあったことはなかったな、と、昨日寝入りばなに聞いた更級日記の冒頭の朗読で思い出した。

 

 

あづまじの道のはてよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、いかばかりはあやしかりけむを、いかに思ひ始めける事にか、世の中に物語といふ物のあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、宵居などに、姉、継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、所々語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでか覚え語らむ。

 

 

* * * *  

 

中医の先生に、夜は11時までに寝るようにとバナナを食べないようにと言いつけられたのをしっかり守って寝た。日本ではライブのない日は11時台に寝て5時6時に起きていたのが、こっちでは仕事もなく暇なせいか、夜更かしの朝ねぼうに戻っていた。中医の先生はあんまり状態が良くなっているとはいえない私を見て、「あなたあんまりにも『虚』すぎる」と言って、粉ぐすりを調整し、鍼は前回眉間の上、第三の目でもありそうな位置に一本だけ打ってそこから血を出したのが、今回は頭頂から足にかけてあちこち打って、右のすねには鍼の上にお灸のようなものを乗せて火をつけていたようだ。具合が悪いのはあんまりうれしくないが、中医に行ってあれこれ話してあれこれ摩訶不思議なものを飲まされたり、寝かされて針を刺されたりするのが私はとっても好きで、心身ボロボロでも楽しみがあるというのはいいものだ。メディスンマンとか鍋に薬草や動物の頭なんかを入れて煮出している魔女たちに会いに行ける資格が病人にはあるのだ。今度の飲みぐすりはシナモンのような味がして少しピリッとする。いったい何が入っているのか、ごはんを食べてこの薬を飲むと、たちまちふらふらとして起きていられない。昨日は昼ごはん後すぐに寝てしまって夜ごはんまで起きられず、今日もまた昼ごはんの後ふらふらと寝ていたが、外が明るいうちになんとか目が覚めて、あわてて支度して10分ほど歩いたところにあるスタバへ行った。15年前も私はここによく来ていて、当時とあまり変わらないので懐かしい。冷房が異様に効いているところまでそのままだ。

 

病院の帰りにはいつものように市場に寄って、母とおばといとこのお土産に、太ったバナナひとふさの半分を最近気に入っている果物屋で、刻んだタロイモを乗せた横巻きで平べったい饅頭6つを道端で買い、通りがかった八百屋で茄子2本とグァバ3つを買ったらおじさんが細ねぎを数本おまけしてくれた。台湾の茄子は日本の茄子より細いかわりに長さが40cmくらいあって、こっちに帰ってきて久しぶりに茄子を見るといつもたまげるのだが、今はちょうど時期だというのもあってか、昨日市場に並んでいたのは長さ50cmほどあり、しかも細いのの山の中に日本の茄子と同じくらい太いのが隠れているのを2本見つけた。迷わず両方つかんで買って帰った。おばと母が「こんなの私じゃないよ、エリが買ってきたんだよ」と台所で太いバナナと長太い茄子を洗いながら笑い転げている。