母親節の週末

Eri Liao(エリ リャオ)ブログ 2020年5月9日 台北

今日も台北は34度。暑いのは暑いけど、日差しが明るくて少し風もありとっても気持ちがいい。

 

今日も中医診所へ。市場は今日も相変わらずの人出だ。土曜日なので入り口付近にはストリートミュージシャンたちが投げ銭箱と一緒に陣取っていて、金山南路を挟んでこっち側では白人パーカッション二人組がなにやらリズムを、あっち側ではカラオケ伴奏にのせてバイオリニストがアメージング・グレースを演奏している。台湾人って妙にアメージング・グレースが好きだよなあと常々思っていたが(そういえば日本人も)、食べものの周りに真剣に群がる男女がごった返す市場のBGMとして、この喧騒にも不思議と違和感なくあの五音階の調べが溶け込んでいるのを聴いていると、まるで生まれ故郷を離れ、台湾の風土に根を下ろして別人として生まれ変わり、現地の人々に囲まれて風変わりだが充実した人生を謳歌しているかつての友人の姿を偶然見るような戸惑いと、いや、これはこれでいいじゃないかと受け入れてしみじみとする感慨がある。市場は朝早い時間が一番混み合うが、お昼に近付く頃になっても、信号が青になるたび、横断歩道を大勢の人が買いものカートを引いて渡ってきては、小さな入り口から入りきれずあふれかえり、そのあふれた人たちに買ってもらおうと野菜売りがアスパラの束を片手ににじり寄ったり、あまり積極性のないグァバ売りは地面に並べたグァバの隣で遠く向こうを見たりしている。一昨日は鈴の音とともに祈祷をあげていた市場内の小さな廟も、今日は買いもの袋を抱える人たちの一時休憩スペースになっている。このにぎわいを見ていると、思わず日常が戻ってきたと言いたくなるけど、疫病が流行ろうが終わろうが、人は食べなくては生きていかれないのだから食べるのだ。「台灣人不想死」と皆が言うのが聞こえてくるようだった。「台湾人はとにかく死にたくないんだ。」市場の中はまるで食べものを求めれば求めるほど死なないのだと皆が信じているかのようだ。

 

昨日は朝早くおばの彼氏が車でおばを迎えにきて、今日は朝早くいとこの母親・阿玉が山から車でいとこを迎えにきて、家は母と私とおじいちゃんの3人だけになった。今週末は母親節、母の日の週末で、台湾では一大イベント、つまりみんなでレストランへ出かけてごちそうを食べる週末で、この土日はなんとなく街が華やぐ。母の日には外でごちそうというのは世界中の華人共通の習慣なのか、5月第2週の日曜日、NYのダウンタウンのチャイナタウンもフラッシングも、少しおしゃれして胸に赤い花をさした中高年の女性たちがあっちにもこっちにも、その笑顔は晴れやかだったりこわばったり様々だったが、彼女たちはその日間違いなく街の主役だった。母の日とは自分の母親に感謝する日というよりも、「祝天下的母親」とよく言うように、この天下すべての母親、産む性を祝福する日なんだろう。レストランは丸テーブルを囲む三世代くらいの家族連れでいっぱいになっているのが外からも見えて、私は道からそれを見ているだけでうれしくなった。いつか私もここに家族ができたら、母の胸にカーネーションをさして、家族みんなでテーブルいっぱいの料理を囲んで・・・と妄想していると、まるでそれだけで親孝行したかのような気分にちゃっかりなった。

  

阿玉は「ヤキヤワイの畑にいっぱい生えてきたから」と、ビニール袋に詰めたゆでたタケノコを3袋持ってきた。ヤキはタイヤル語でおばあちゃん、ヤワイは私のおばあちゃんの名前だ。本来は亡くなったら「ヤキ」ではなく「カキ」と呼ぶのが正しいそうだが、そういう古く正当なタイヤル語は今はほとんど誰も使っていない。おじいちゃんがいなくなってしまったらこの言葉を生活の中で自然に使う人はいなくなるだろう。阿玉は母が私と日本に移住した間ずっとこの家に住んでいたが、私たちが戻って少ししてから台北での仕事をやめ、山で自宅を改造して民宿を経営するようになってもう10年以上になる。「山に住んでから媽媽はおしゃれも化粧もしなくなった」といとこがよく嘆いているが、母の日だからだろう、今日はあてたばかりのくっきりしたパーマで、明るい茶色に染めたばかりの髪がジェルで濡れてツヤツヤしていた。ある程度の年齢になると山の女性たちは昔から、母の日、クリスマス、春節、運動会など、みんなが集まるイベントごとが近付いてくると、ぞろぞろと山から降りてパーマをあてにいく。美容師の側としては、すでにパーマのかかった髪にまたパーマをかけてくれと言われるのだから、より強いのをあてていくしかないのだろう。おばさんたちの頭のキツかったパーマはさらにさらにとキツくなって、私の目には髪が毎度チリチリと痛んでいくように見えるが、みんなにとってパーマは美的なものというよりむしろ儀礼的なものなんだろう。ヤキヤワイも生きていた頃いつもパーマをあてに行っていて、家に帰ってくると櫛を水につけ、鏡の中の自分を見て「マントヒヒみたいな婆じゃ」と可笑しそうに、懸命に髪を引っ張って伸ばしていた。

 

母から「タケノコと一緒に炒めたいから」と、中医の帰りに市場で五花肉を買ってくるよう言われた。採れたてのキュウリひと山50元、五花肉(豚バラ)ひとブロック130元、有機豆乳ひと瓶120元、飲みぐすり4日分、中医の先生お手製の敏感肌用クリームが今日の私の収穫。中医の先生は、透明ビニールのカーテンの切込みから両手首をさし出す私の脈をとり、ビニールごしにベロを診て、ようやく「ずいぶん進歩したね、あとちょっと加油よ」と満足そうに言った。見た目の方はあんまり変わってない感じだが、気分の方はたしかによくなっている気がする。先生は私と年がひとつしか変わらず、横になりながら鍼を打たれるのを待っていると、いつも白衣の下はランニング用スパッツだったりする先生の足元が、今日は細かいプリーツのロングスカートで、裾に向かってエメラルドグリーンのグラデーションが揺れていた。

 

昼ごはんを食べて薬を飲むと、またふらふらと眠くなり、夕方ごろむくっと起き上がって近所のカフェへ行った。カウンターの端の席からカップルが立ち上がってお会計するのを見計らってそちらへ移動したところ、店の猫たちも同じことを考えていたのか、後ろのテーブル席に座る人が私の肩を叩いて、「あなた、見られていますよ」と指差す先を見ると、エスプレッソマシンの横から白に薄いトラ柄の大きな猫がじっとこちらを見ていた。しばらくするともう1匹、よく似た同じ柄の大きいのがやって来て、最終的に2匹は私の右と斜め前の至近距離から動かなくなり、二方向からこちらをじーっと凝視した。放っていると、1匹は横で丸くなり、もう1匹は前でおすわりの格好のまま、目を閉じて眠りはじめて、ひとつ席を空けて隣に座ったパソコンで作業する髪のうすいおじさんが手を伸ばし、画面から目をそらすことなく、慣れた手つきで丸くなった猫の背中をなでた。

 

家に帰る前に雑貨店に寄って卵を買った。母はいつもここで赤い卵を100元ぶん買っている。赤白縦縞のビニール袋を1枚取って、袋に卵をひとつひとつ、だいたい100元ぶんくらいかなという量を入れる。時々卵に茶色っぽい鶏の毛がついているのがいかにも新鮮で好きだ。今日の卵はこの間よりひと回り大きい感じがする。雑貨店の女主人はいつも厳密にマスクをしているが、今日は外している。だらんとしたあざやかなな赤一色のTシャツを着て、入り口で店番をしながら売上を数えていて、袋に取った卵を秤に乗せて量ってもらい、115元を支払って「拜拜(バイバイ)」と挨拶すると、「拜拜」と、はじめて見るうっすらピンク色の口紅をひいた唇をひらいて、薄化粧の顔でにっこり笑った。