さまよう

Eri Liao(エリ リャオ)ブログ 2020年5月11日 台北

昨日は朝から調子が悪く、夕方には大雨。久しぶりにどしゃ降りの中を歩いた。数年間体調がよかったからすっかり忘れていたけど、体が悪いって本当にひとりぼっちね。みんなにもっとやさしくできればよかった。

 

Qの稽古でいつも一緒にセカンドソプラノ歌った牛仲間のはるみさんから連絡。週に何度も会っていろんな話をしてたから、思わずグズグズと泣きごとを言って、少し気が楽になった。はるみさんラブありがとう♡ はるみさんに言われて気が付いたけど、私だって地球や人間社会の一員なのだから連動して身体が反応したっておかしくないもんね。そういえば私たちは今日、コロスのみんなと俳優さんたち、佐都子さん、スタッフの方々、他に誰が一緒に行く予定だったか、今頃みんなで東京からドイツへ出発して、世界演劇祭とそれに続くドイツ公演に向けて稽古を重ねる予定だった。予定は吹けば飛び、風が吹けば桶屋が儲かり、このコロナ禍では誰が儲かっているのか。

 

一番具合が悪かった20代と比べたら30分の1くらいましな状態とは言え、40代だからか、これっぽっちで体がぐったり疲れてしまう。寝ていても身体がこわばっているようであんまり休めている気がせず、背中の上の方に疲れが溜まってきている感じがする。次回の坂口恭平の躁鬱大学で、心臓と肺の休ませ方を伝授してくれるそうなので、私もそれを参考にしてもうちょっと上手に休みたい。

 

若い頃は、夜中に体がつらすぎて眠れない時にとる行動が、どうせ眠れないんだったらと起き上がって、無理やりお化粧して着替えてタクシーに乗って踊りに行く、だったのだから、上手に休みたいなんて言ってる今となっては同じ人間のとる行動とは思えないというか、うらやましいくらいの離れ業だ。どうせ眠れないんだし(だったらクラブへ踊りに行こう)とか、同じ寝込むなら(アフリカで寝込んでみたい)とか、若くて不快な私の身体はそれでもいろんなところへ私を運んで、不健康で不キゲンでさみしくて時々ふしあわせそうだった私と、知り合って友になってくれたやさしい人たちとも出会えた。無茶をしたツケは確かに払ったし、もしかしたらまだ払っている途中なのかもしれないけど、こうではなかった私の人生なんてないのだから。

 

踊りに行かない代わりに、最近は部屋を暗くして横になって、万葉集と更級日記の朗読を交互に聞いている。部屋が暗いのは同じだけど、10数年経って、ミラーボールのきらめきは空気清浄機のさまざまな表示の赤青のランプに、朝まで踊らせるDJは上野誠先生の解説と加賀美幸子さんの朗読にとって代わられたということか。更級日記は高校の時から好きだったので、そうそうこれこれ、と思い出しながら聴いているが、万葉集の方は一度も興味を持ったことがなかったので新鮮でとっても面白い。台北の家のベッドに横になり、上野先生が「ノートに三角形を描いてください」とラジオ越しに指示するのに従って、頭の中で、北に耳成山、東に畝傍山、西に香具山を思い浮かべようとして、私はどの山にも一度も行ったことがなければ見たこともないな、と考えていると、そういえば奈良の時代の人たちも、見たことも行ったこともない唐を思い浮かべて、唐のような街並みの中で生活したんだし、そういえば私の小さい頃の台湾だって、大陸へ行くことは禁じられていたのに、学校では中国史を学び、街の通りは今でも、青島や瀋陽など、大陸の地名が付けられたままだなあ、と大の字になって心であちこち彷徨っていると、向こうの部屋でおじいちゃんがおしっこをしたらしく、母がタイヤル語で「オムツ取り替えるよ!」と耳の遠くなったおじいちゃんに叫んでいるのが聞こえる。

 

台湾は今日で28日連続国内での新規感染者ゼロということで、街中もマスクをする人しない人が半々、師大路のスタバの大きなテーブルは飛沫防止のアクリル板で区切られてはいるが、防疫対策というより自習室のような雰囲気になって長居するお客の間になじんでいる。母の日当日だった昨日は、私の具合が悪かったのもあって、いつもどおり母と自宅でごはんを食べて過ごしたが、外はレストランも軒並み満席、ホールケーキも軒並み売り切れだったようだ。

 

昨日の夜は、友人が話題にしていた Erykah Badu と Jill Scott のライブ配信のアーカイブを、寝る時間までの暇つぶしのつもりで横になって聴いた。ああ懐かしいなあと思って聴いていたら、何日ぶりだろう、いつのまにか無意識で声をあげて笑っていて、わあこんなに喜んでるんだ私、と気が付いてびっくりした。それぞれの自宅にいる二人が、思い出話を挟んだりしながら1曲ずつ自分の曲をかけていくんだけど、ああもう、なんて懐かしいんだろう。懐かしいことが増えていくというのは、生きている愉しみなんだな。そうなのよ、私もこんな歌をうたいたいのよ、こういうのがやっぱり最高なのよ、などと酔っ払いのように思ったりして、一緒に口ずさんだり、ハモってみたり、その間は具合が悪いのも忘れた。20代の頃、どうせ寝込むなら、と思いきって行ったケープタウンの友人宅で留守番をする間、持っていった「Mama's Gun」を大きなスピーカーからかけて、窓もドアも開けて、薄暗くなった庭の芝生の上で友人の猫ジジを、ほんとうに嫌がって見えないところへ逃げるまで追いかけ回してひとりでわはははと笑った。エリカが Didn't Cha Know をかけて、あのイントロのふわふわと上昇するエレキギターの一音で、クレインモンドの夕暮れの色合いと、庭の芝生の肌ざわりと、白い壁、ジジのやわらかい毛が、ずっと忘れていた風景が浮かんだ。あの時も具合が悪かったけど、身体的な不快感はあの風景ほどはっきりとは思い出せない。音楽とこういう付き合いができるのはとても久しぶりでうれしい。これだけでも、しばらくライブもなくなって演奏もしなくなった意味があったかもしれない。