夢とうつつ

Eri Liao(エリ リャオ)ブログ 2020年5月16日 台北

数日間ブログおやすみしていました。ただいま。ちょっと両目が緊急事態になっておりまして、今日やっと開いてきました。やっとコンタクトが入れられるようになって、開眼間近。

 

蕁麻疹が出たな、湿疹も出たな、というところまで来て、ライブも稽古も予定もないし、ここしばらくは中医に通いながら飲みぐすりと鍼でのんびり過去の悪事を清算し、今後の人生に備えるべく治療を続けていこうと思っていたけど、両目の周りがどうもおかしい。時々痛むようになったなと思っていたら、数日前、みるみる腫れ上がり、そうこうしているうちに気付けばのどの内側が猛烈にかゆい。アレルギーっぽいし、手元にあったアレグラを飲んで一晩様子を見てみようと思ったものの、どんどん痛みが激しくなって寝付けず、呼吸を整えながら3時間ほどなんとか横になってみるも、眠れない。どうなったかちょっと見てみようと思って鏡をのぞくと、赤くなって頬骨のあたりまで丸く腫れ上がった中に、左右対称の傷口のように目が、2mmほどかろうじて開いてそこにあった。パンパンに熱をもって腫れていて、指2本でこじ開けないと目がこれ以上開かない。鏡の中の変形した自分の顔を見て、これは救急でも大げさではなかろうと、早朝、大通りまで歩いてタクシーを捕まえ、台湾大学病院の救急へ向かった。ここの救急はいつも野戦病院のように混み合っているが、早朝から来る人はあんまりいないようで、何時から働いているのか、職員の人たちはテンション高くおしゃべりしたりして比較的くつろいでいるようだった。救急車の邪魔にならぬようこそこそと脇を歩いて、入口のところで受付をして中に入ると、看護師さんが私を見るなり、「うわっ、その目・・・を診てもらいに来たんですよね」と、ゲラゲラと笑い出した。まさにその通りなので、「對啊」とまったり返すと、まるで聞き分けのない犬についてぼやく飼い主のような気分になって、ふわっと気持ちがほぐれた。見るからにヤバいという状態は、家にいてもカフェにいても肩身が狭いが、病院の中ならかえって気楽で、コミュニケーションものびのびできるものだ。

 

台湾大学病院は、実家から一番近い救急病院なので、ここには結構よく来る。おじいちゃんがずっとここにかかって入退院をくり返しているし、父もここに入院して死んで、おばあちゃんもここに入院して亡くなった。母の一番上の兄であるおじさんも昨日からここにかかることになったそうだ。おじは母の実家がある宜蘭の山にずっと住んでいて、これまでに何度も畑で倒れては自分で起き上がってきていたが、2ヶ月ほど前、何があったか、山から降りる道路を運転中、カーブで曲がらずにまっすぐ突っ走り、ちょうどガードレールのないカーブだったのでそのまま崖を飛び降りる形となった。運の良いことに、おじとおじの奥さんを乗せた車は崖下の木々に引っかかって、車の前半分だけ飛び出した格好で動けなくなり、おかげでなんとか助かったそうだ。普通なら畑で倒れた時点で病院に行くと思うが、ここまで大事になってようやく病院へ行くというのが私の家族だ。おじは聖母醫院という宜蘭の病院にしばらく入院した。このカトリックの宣教師が建てた病院は、原住民などの貧困層に低額もしくは無償で医療を提供してきた歴史があり、宜蘭あたりの原住民は部落の診療所では手に負えない病気や怪我の際には大抵ここにかかるが、「聖母醫院に行くと生きて帰ってこない」とも言われていて、それでもみんなここへ行く。事故後聖母醫院に入院したおじは、みんなが噂する通り、容態が悪化する一方だったので、台北に住むいとこ(おじの娘)もいよいよあわて始め、母の強い勧めを聞き入れて台湾大学病院のおじいちゃんの担当医に診てもらうことにし、いとこ(おじの息子)が山からおじを車に乗せて台北まで来たのだ。こんなことになってしまって、とビデオ通話で、おじの奥さんが泣きながらおじにごはんを食べさせようとしている様子が母のスマホ画面に見える。おじはすっかり痩せこけて随分年取ってしまったように見える。

「頑張ってよ、アバ」

と涙ぐんだ母が思わず、おじに間違えて声をかけている。「アバ」とはタイヤル語でお父さんだ。あわてて言い直しているが、弱ってしまったおじの雰囲気は確かにおじいちゃんに似ていなくもない。母の後ろでおばがこらえきれず笑っている。おばは鬱の薬が効いているのか、それともお兄ちゃんの一大事にあたって火事場の馬鹿力のようなものが湧き上がっているのか、ビデオ通話を切った後も、度々いとこに電話をかけては、病院で先生に訴えるべきことを思いついたそばからテキパキと伝えている。

 

台湾大学病院の舊大樓と呼ばれる旧館は、日本統治時代の1921年に完成した建物で、1998年に台北市指定の古蹟となったこともあり、今も当時の姿を残して使われている。当時の総督府(今の総統府)を出るとまず目に入る目立つ場所にこの病院が位置しているということで、日本政府もかなり見栄を張ったのだろう。正面の椰子の木が印象的な南国風コロニアル建築で、噴水を囲むアーチ型の車寄せを横目に玄関へ続く石段をのぼり、ローマ様式の柱の間をくぐると、ホールはいつ来ても病人と付き添い人で溢れかえっており、弧を描く高い天井の頂点に色合いの違うガラスをはめた天窓からふり注ぐ自然光が明るい。玄関の左右にはコーヒー屋と弁当屋が、いつもなんらかの割引の看板を出していて、中央をまっすぐ明るい方へ歩いて行くと中庭が見えて、鯉の泳ぐ池が、木枠の窓のさらに向こうには行き交う人々が見える。見舞い客としては何度も来ているこの場所だが、病人として来るのは今回がはじめてだった。

 

この病院に来るのはちょっとした楽しみでもある。というのは、病院の地下がフードコートになっているのだ。こればかりは新大樓(新館)の方が豪華だが、舊大樓でも私には十分だ。香港風の皮蛋と細切り肉の入ったお粥や、ご飯にローストダックの乗ったお弁当、ベジタリアンのお弁当、パーコー麺、ルーロー飯・・・、「ここで入院するのが夢です!」と言いたくなるほど、台湾のおいしい食べものがいくらでもある。私が一番気に入っているのは、フードコートの脇を歩いていった方にあるコーヒー屋さんだ。ここは半地下で、煉瓦造りのアーチ型の窓の横に座席があって、座ると外の緑が見える。見るも無残な姿で病院に来るようなはめになっても、ここに座ってのんびりしていると、少し優雅な気分でいられるのがありがたい。アーチ型というのは、なんでだか、優雅なような気分にさせられる。レジで特大(Lサイズ)のラテとベーグルを注文すると、「荘園にしますか?こっちの方がいい豆になりますが」と聞かれた。荘園という言葉は、中高生の頃日本史の授業で墾田永年私財法について習って以来ほぼ全く目にしていないと思ったが、最近の台湾ではどうやら品質のいいコーヒー豆を栽培するプライベート農園のことを「荘園」と呼んでいるようで、このルイーザという台湾のコーヒーチェーン店ではコーヒーを注文すると、荘園にするかどうか必ず尋ねられる。何かいにしえの言葉を唱えるような気持ちで、「ならば荘園で」と私は自分のラテをランクアップした。

 

薬のせいか、体が単純に疲れているのか、目が開かないので閉じてしまうからか、今朝まで食べて薬を飲んで寝る、というのを1日に3回ずつくり返して過ごした。26で入院した時と同じような感じだ。夢とうつつが入り混じる。