とおく

Eri Liao(エリ リャオ)ブログ 2020年5月18日 台北

そういえば3年前、ブログに次のライブの告知文くらいしか書いていなかった頃(というか、ミュージシャンのブログなのだから、ライブのお知らせをして少しでもみんなに知ってもらって、少しでもライブに来てもらおう!と深刻になってしまっていた頃)、久しぶりにちょっとした文章を書いたことがあった。私はその頃はじめて自分のバンドのCDを録音したところで、当時の自分たちの記録としてとってもいい録音ができたと思ったので、「せっかくだから少し売ってみよう!」と意気込んだものの、何をどうしたらいいのか全くわからない。いろいろ読み漁っても音楽ビジネスのことはちっともわからないし、正直なところ、どこの誰にもわかっていなさそうで、ただ「CDはもう売れない」ということだけは全会一致で賛成という感じだった。思い切ってある人に連絡を取って相談しに行くと、「エリさん、何か書いたらいいんじゃないですか?」と言われた。実はその人に相談などするずーっと前から、私は何か書いてみたらいいんじゃないか、と自分自身うっすらそう思っていた。でもそんなことを人に言おうものなら、その前に音楽をちゃんとやれ、と返されそうだし、そうやって想像しているだけで、あ、そうだ曲書かなくちゃ、ピアノ練習しないと、新しい曲覚えなくちゃ、アレンジしないと、などと一人で勝手に追い詰められていってしまって厄介なので、こんなことは誰にも話さなかった。その人は「音楽活動の一環としてこういう本を書いている方もいますよ」と本棚から、私と同世代くらいの女性シンガーによる写真集とエッセイの一体化した感じの本を取って、こんな人もいるので参考に、と見せてくれた。礼を言って手に取ったが、わかったから早く私を家に帰して私にも書かせてくれ、と、自分で相談に行っておいて心の中でブツクサとぼやき、ページをめくっては、私よりどこか解放されていそうにも見えるその女性の写真をぼんやり見つめた。

 

ちょうど同じ頃だったか、CDのジャケットを作ってくださった画家の小池アミイゴさんが代々木上原で、「あなたの唄は、なんていうか、かなしみがベターっと貼りついてるんだよね。なんかあったの?」とコーヒーを飲みながら早口で私に尋ねた。なんと私のうたはそんな風に聴こえているのかとびっくりしたが、ぎくっと思いあたるふしもあった。その時アミイゴさんにはうまく言えなくて「家庭環境があんまりよくなかったからですかねえ」とか返事をしたんだと思うが、私はかなしいという感情を決定的に覚えた小学生の頃の記憶がハッキリとあり、私はそれを当時夏休みの絵日記に書いていたはずだった。絵日記のことはたった今思い出したが(今私がいるこの部屋で、今私が向いているのと同じこっち側の壁の方を向いて書いていたはず)、出来事そのものについては、3年前、CDを売るという動機で文章を書いていたら30年ぶりに思い出したのだった。

 

この文章のことを、今朝思い出した。新型コロナウイルスにみんながもっと怯えていたまだ寒い頃、青山学院大学のゼミでゲストとして何か話してほしいと連絡をいただいて、まだまだ先だと思っていたその授業ももう来週のことになったし、さて何話そうかなと考えていたら、ふとその3年前に書いた文章のことが頭に浮かんだ。今日は朝から部屋のエアコンの工事でバタバタし、工事の人たちへ何か飲みものでもと雑貨店へ行ったら、ちょうど暇そうにしていた雑貨店のおばさんがお釣りをくれつつ「あなた日本の仕事どうしてるの? 台湾でも歌ったらいいじゃない、どっかあるわよ、もう台湾は大丈夫よ」というところから、馬英九の台北市長時代と総統時代の悪政、そして外省人たちの住むぼろ家の並んだ眷村がいつも謎の出火により一夜にして焼失し、しばらくするとその土地は必ずいつも政府の土地として綺麗な建物や公園に生まれ変わっていることへの怒り、あそこもそうだった、あそこもそうだったでしょう、とおばさんがどんどんヒートアップしてきたところでどこかの業者が商品の入ったダンボールを持ってきて、私はおばさんに拜拜(バイバイ)と言って家へ戻り、エレベーターが1階まで降りてくるのを待っていると、中から出てきたのは空っぽのダンボールを載せたカートとちょうど作業を終えたらしき工事の人たちで、飲みものを渡してお礼を言うのになんとか間に合った。二人いたうちのリーダー風の人が「仕事が早いでしょう」とうれしそうに私に言った。その後、部屋の模様替えを今するしかないと母が言うので、あっちの机をこっちに引っ張ったり、こっちの棚をあっちに引っ張ったり(模様替えは母の長年の趣味)を手伝って、午後はちょっとしたお手伝いのバイト、夕方微熱が出たのでごろごろし、夜は交通事故と火災が大好物なのだろうとしか言えない台湾のニュースを見ながら母と二人でごはんを食べて、先ほど自分の部屋に戻り、やっとまたあの文章のことを思い出した。クラウド上のファイルにアクセスしてみると、最後の編集履歴は2017年の7月だった。

 

私としてはとても大事なことを大事に大事に書いたつもりだったが、読んでみてもらったたったひとりの人が「うーん、あんまりよくわからない」と言うので、それからなんとなくそのままになっていたんだった。今読むと、うーん、確かに他人が読んでもよくわからないだろうな、という部分はあるが、私にとって非常に大事な話であることに全く変わりはなかった。そのことは覚えていた通りだったが、驚いたのは、3年前の私はあんなにはっきり思い出していたことなのに、今の私は全く思い出さなくなっていることがある、ということだった。歌うとき、遠く遠くへ行ってしまうものたちに歌いかけているような気持ちに時々なる。遠く遠くへ行ってしまうものたちについて、もう一度書いてみるのもいいかな。