君がなることのできたすべて

Eri Liao(エリ リャオ)ブログ 2020年5月19日 台北

呼ばれたので振り向くと、こんにちはジジ。

 

今日は久しぶりにじゅんこ先生にzoomで会って、来週の青学のゼミの打ち合わせ。打ち合わせというもの自体が久しぶりでちょっとドキドキしたが、「この時期は、とにかく無理しない!ドタキャンOK!ゼミでもこれが常々合言葉」と、先生はとってもやさしかった。ゼミ生のみなさんはそれぞれ自己紹介として「生活の中の音楽について」を話してくれるそうなので、私も話さなくちゃ。っていうかその話がしてみたい。

 

ということで早まって書いてみよう。今日耳にした音楽。ひとまず楽曲として誰かが作ったものに限って振り返ると、

 

  • 朝リビングの方から聴こえてきたピアノ曲の断片たち。母は掃除なんかしているときに古典音樂台というクラシックFMをかけておくのが好きで、今日もきっとそうしていたんだろう。このラジオ曲のDJはみんな中国語の発音がとても優美で(おそらくそのように意識して発語もしてるんだろう)あまり考えずに聴いているだけでとっても癒される。
  • お昼ごはんの後片付けをしている間、みんなのお気に入りのキッチンのピンクの椅子に腰かけた母がスマホで懐メロ動画みたいなのを楽しそうに見ている。私は考えごとをしていたのであんまり相手にしなかったが、「ねえねえ、これどう聴いても費玉清にしか聴こえないよね」と堪えきれないように私に話しかけた。費玉清というのは、ついこの間引退した1955年生まれの台湾の有名歌手で、70〜90年代くらいまでずっと第一線でいくつもヒット曲を出しており、それこそ国境を超えて、世界の中国語圏でこの人の歌声はとにかく愛されている。(ちなみにじゅんこ先生のゼミには『越境と音楽』という素敵なタイトルがついている。)ニューヨークでお世話になった中医の先生の奥さんは、わりと最近の中国からの移民で、費玉清の大ファンだった。母のスマホ画面を覗くと、「すごいでしょ、このインド人」と母は得意そうににこにこしている。画面では、おしゃれなとんがり帽と民族衣装を身にまとった南アジア人らしき男性が、中国版 American Idol といった感じのキラキラした舞台で、朗々と、費玉清の往年の名曲を訛りひとつない中国語で歌っている。「すごいね、どこの人だろう」と言うと、母がまた得意気に「尼泊爾なんだって」と言う。日本のインドカレー屋さんはほとんどネパール人が経営していると聞くが、母の中でもインドとネパールは同じになってしまっているらしい。「中国の映画や音楽が好きで、ずっと費玉清のファンでした」とそのネパール人は審査員に熱くアピールし、母は「中国じゃないよ、台湾でしょ、何言ってるのよ」とムッとする。
  • 友人が送ってくれた曲をダウンロードして聴く。素晴らしいオリジナル曲の他に、小野小町の和歌に曲をつけたもの、ミルトン・ナシメントが歌って有名な曲に島崎藤村の歌をのせたもの、ハワイの曲に万葉集・古今集の歌をつけたもの、などなど・・・最初その話を聞いて「まあ随分けったいなことを」と思ったが、聴いてみるとすごーくいいのでびっくり。ナシメントの曲はメロディを覚えててもポルトガル語ができないので鼻歌でしか歌えなかったが、島崎藤村の、しかも有名な歌が歌詞になっているとすぐに歌えてうれしい。気付くと私もこのけったいで素敵なナシメント藤村を歌っている。そを、そを、そを・・・
  • ナシメントを聴きたくなったので、この島崎藤村の曲の元歌が入っているアルバム「Clube da Esquina」をSpotifyで聴く。ブラジル音楽は全く詳しくないけど、ずっとすごく好きだった。アルバムの1曲目、なんと私が20代の頃クラブでよくかかっていた曲だった。思わず立ち上がって、しばしひとりで部屋踊り。こんなところで再び出会うとは。踊り出すほど大好きなのに、不思議なことに、曲名を知りたいとも、歌ってる人の名前を知りたいとも、このギターは誰が弾いているんだろうとか、誰の作曲だろうとか、今の今まで頭をかすめたことすらなかった。正直に言うと、歌詞の意味が気になったこともない。何もこの曲にかぎらず、日本語だろうがポルトガル語だろうが、自分の話せる言語であろうがそうでなかろうが、実はすべての歌について私はいつもこんな感じで、私は音楽を色々知っていると思っているけど、その一方でびっくりするほど何も知らない。こんな私がシンガーだなんて、ミュージシャンだなんて、歌手だなんて、音楽家なんて、そんなものを名乗る資格はないんじゃないかと悩み、勉強しようと頑張ったこともあるが、どれも中途半端に終わった。こんな私でもシンガーでいいんだと安心できたのは英語のおかげだった。観察したかぎり、音痴、ビヨンセ、小学生、地元クワイヤーのおばさん、ボブ・ディラン、自転車をこぎながら熱唱して通り過ぎていく人、歌が大好きでクリスマスにはいつも家族で小さなコンサートをしたという友人の父親・・・つまり歌さえうたえば、上手だろうがなんだろうが、プロもアマチュアも英語では誰もが一律に singer で、Youtubeで時々見たピアノの鍵盤を前足で押さえて遠吠えしてる犬なんかも singer なのだった。英語の、英語の人たちの、こういう十把一絡げな包容には何度も救われた。20代の私が真夜中、地下に降り、重い扉を開け、光を浴びて踊っていたナシメントのあの曲は Tudo o que você podia ser という題名で、ポルトガル語の原題をそのまま訳した邦題もついていた。君がなれた全て。

 

太陽と月とともに 君は夢見た 

この先はもっとよくなっていくのだと

先へと続くさまざまな道で、輝く星になるのだと

君のなりたかったすべてに

 

・・・・

 

  • クリアファイルとのりを買いに師大夜市の文房具屋へ、そして和平東路沿いの地下にある古本屋・茉莉二手書店へ。この間見つけてからちょくちょく行っていて、いとこもここがお気に入りらしい。全体的に照明がおさえめで、チョコレート色の内装で売り場もスッキリとしていて落ち着く。マスクと手指の消毒はまだ必須で、マスクなしでは入店もできない。ここでもうっすら小さな音でクラシックのピアノ曲が流れている。台北では、心を落ち着かせたり、ゆったりとリラックスした時間を設けたいのであろうさまざまな場で、小さくクラシック音楽が流れているのを耳にする。TASCHENのシャガールの小さな画集が126元で買えてうれしかった。
  • 母と二人で夜ごはんを食べる。母がニュースを見ようとしてリモコンを押し間違え、普段見ない仏教チャンネルが出てきたのでそのまま見てみることに。ソファに座ったお坊さんが、自分のしあわせは自分のもの、他の誰かに支配されないように、というような法話をする番組に続けて、「中華成語故事」という子ども向け故事成語の番組になった。時代は三国時代の魏、出演者は全員子どもだが、セットもなかなか本格的、みな当時の衣装を着てそれぞれの役を演じている。主題歌も子どもたちが歌っていて、曲調はリアーナ風のポップなダンスチューン(!)だが、歌詞は最初から最後まで故事成語について歌っているので、ついつい釘付けになって最後まで聴いてしまう。
  • 病院の先生から、この1週間は寝る前に生理食塩水を浸したガーゼで両目を30分冷やすように言われている。救急に駆け込んだ時と比べるとさすがにもう腫れはほぼ引いているが、赤みはまだちょっと残っている。30分目を閉じて横になってなくてはいけないので、この時間はいつも古典の朗読を聞いているが、今日は母と茉莉二手書店の影響で私もクラシックを聴いてみることにした。うちの近所の粗末な骨董屋でも、ランニングシャツにサンダル履きのお店のおじさんがいつも店先に出した椅子に座って、母と同じクラシックFMをかけながらお茶を飲み、客など興味もなさそうな様子でぼーっとしている。こういう風に聴くクラシックもいいもんだなあと常々思っていた。ラジオ局のホームページに行って放送を聴くと、どうやら夜の11時台はクラシックではなくジャズの時間で、リズムも元気も異様と言いたいくらいにいいピアニストだなと思ったらオスカー・ピーターソンだった。番組ではギターにジョー・パスを加えたカルテットのアルバムが紹介されていて、オスカーは、猛烈に弾いて、弾いて、弾いて、弾いて、私はなんだか途中で吹き出してしまう。このオスカーのぶっちぎりで弾きまくるピアノザウルスみたいな演奏と、夜のしじまに典雅な文人のような響きで語る中国語DJの取り合わせを聴くのははじめてで、まだ口の中で二つの味がうまく混ざり合わない。ピアノやドラムを「琴」とか「鼓」と上品な中国語で言うので、うまく視覚イメージできないでいる。番組の最後にアルバムのタイトル曲、私の大好きな曲、Tadd Dameron のバラード、If You Could See Me Now がかかった。この曲はオスカーのピアノソロで始まり、静かに、ゆっくり、曲が少しずつ進む。オスカーはそういえば very good singer でもあった。この曲はピアノでもやさしく歌うようだった。私にジャズを教えてくれた先生や友人たちもどこかでこの曲を歌っている声が聴こえるような気がして、とてもしあわせだった。