A Smile

Eri Liao(エリ リャオ)ブログ 2020年5月22日 台北

今日も一日雨。テレビでは、屏東や高雄など主に南部で川のようになった道路を車やバイクがばしゃばしゃと通っていく映像が流れる。ただの梅雨のはずだが、まるで台風が来たかのような様相で、いくつかの都市では停班停課、会社も学校も雨でおやすみ。「今会社のすぐ向かいまできてますけど、渡れないので出勤は無理です。深すぎて」と会社に電話したと街の人がインタビューに応じている。

 

おばの彼氏の実家は台南のはずれにあって、こんな風に大雨でどこもかしこも浸水する日は、たくさん魚が流れてくるのだそうだ。田舎なので、自宅の敷地内に池をつくって魚を養殖している人も多く、特によく飼われているのは吳郭魚というなかなか風流な名前で呼ばれているティラピアの種類。大雨がふれば、洪水と一緒に、誰かのところで飼ってる吳郭魚の群れが次々と、自分の家の前の川のようになってしまった道に、プールのようになってしまった庭に、どんどんどんどんと流れてきて、獲っても獲っても獲りきれないほどなんだそうだ。拾ったものは俺のもの、みんなで鍋を出してきて、どこかから流れてくる魚を片っ端から獲ってはゆでる。そんなわけで台風の時期にはたくさん吳郭魚を食べられるのだという。吳郭魚はスーパーでも市場でもいつでも売られていて、値段も安い魚だが、少しねっとりした鯛のような白身の肉でおいしい。

 

今日も結局ほとんど家の中で過ごした。うちは台北のマンションの7階なので、浸水もない代わりに吳郭魚も流れてこないが、家の中で埋もれている宝というのはあるものだ。母がいつだか東門市場で実演販売しているのに見惚れて買ってきてそのまましまって忘れていたという豆漿マシーンを発見した。キッチンにはちょうど母がこの間買った黒豆があったので、さっそく洗って水に浸し、もう気温も高いので3時間も浸せばじゅうぶんで、3時間半後にはできたての黑豆漿を飲んだ。おいしい。作ってみて久しぶりに思い出したが、そういえば豆漿を作るたび、説明書には書かれていないが、マシーンの底に大量のおからも作られるのだった。できたての豆漿が毎日飲みたいので、毎日このおからの山をどうにかしなくてはならない。豆漿愛飲家と同時におから研究家になるしかないのかも。ニューヨークではヨーグルトの中にそのまま入れてかき混ぜてごまかしたり、卵の中に混ぜこんで無理やりスクランブルエッグにしたりしていたが、食べても食べても、そんなくらいでは毎朝大量発生するおからに全く消費が追いつかず、見なかったことにしてコンポストの中にそっと入れることもあった。当時住んでいたアパートのフランス人ルームメイトの元奥さん(ポルトガル人)がEM菌の大ファンで、ルームメイトと離婚して引っ越していった後も定期的に彼のところへEM菌を届けにきていたから、夫よりもEM菌が好きだったというか、夫よりEM菌を信じていたのか。とにかく私たちルームメイト4人は共同して生ゴミをバケツに集めて、その上に元奥さんが持ってくる bokashi というEM菌ふりかけのようなものをまぶし、バケツが一杯になったら1週間くらい寝かせて、元奥さんと彼女のEM菌仲間たちが堆肥づくりをしている近所の市民農園まで持っていった。彼女は気性の激しいとってもいい人で、みんなの大事な友人でもあったので、EM菌がなんなのか誰もよくわかっていなかったが「とにかく本当にすごくいいんだから」と彼女があんな熱烈に主張するんだから、その菌を介して、時々彼女と会って、お互い元気にやってるか確認するのもまんざらでもなかった。日曜日の指定された時間に市民農園へ行くと、かわいい野良着姿の彼女のほか数名の女性がいて、「毎週EM菌パーティやってるからよかったら遊びにきて。みんな大歓迎!」と声をかけてくれた。めいめい自分のつくった bokashi を持ち寄って、においを嗅いでみたり、どうやってつくったかをみんなでシェアしたりして、EM菌を使った食べものやドリンクの味見をしたりするらしい。コーヒーかすでつくるbokashiを研究しているとも言っていた。

 

元奥さんに最後に会ったのは、ルームメイト4人とその友達と、大勢でブルックリンのロシア人街にあるビーチへ行った時だった。ビーチから住宅街へ出る手前に草むらのような狭い道があって、そこを通っていると、なんと向かいから彼女がひとりで歩いてきた。誰も彼女に連絡をしたわけじゃないのに、突然現れたのでみんなでびっくりして、「Oh my god!なんとなく海が見たくなって来てみたら!」と麦わら帽子の彼女は両手を広げて大げさに笑って、うれしくなってみんなでハグをした。その少し後のことだったか、彼女の再婚相手から、彼女が交通事故でほぼ意識不明になってしまったと連絡があった。彼女は、よっぽど遠いか、よっぽどの吹雪、ハリケーンの日でもないかぎり、ニューヨーク中を常に自転車で移動していて(「移動のために排気ガスを撒き散らすのは人間のエゴだ」というのが彼女の主張だった)、ヘルメットを被った彼女が車に混ざって猛スピードで通り過ぎていく姿を私も目撃したことがある。地下鉄で移動するよりこの方が断然速いし、運動にもなる、と得意そうにしていたが、その日、彼女は自転車移動中に車に衝突し、衝突の衝撃で何メートルも体が宙をふっ飛んだらしい。幸い大きな怪我はなかったが、打ちどころが悪かったのか、少しでも体を動かそうとすると猛烈なめまいがしてとても起き上がれず、自宅に戻ってからもずっと寝ていて、目が覚めている時間も1日に数分ほど。何をすることもできず、毎日ただ寝て、時々目が覚めて数分するとめまいが起きて、また寝る、というのが彼女の人生になった。その年のサンクスギビングの日、彼女からのメールが再婚相手を通じて私たちのところに届いた。その夫が冒頭に書いたメッセージによると、数日に渡って彼女が少しずつ口述した文章を彼が書きためて私たちに送ってくれたそうだ。今でも毎年サンクスギビングに、同じようにして書かれた彼女からのメールが私たちに届く。手紙の最後はいつも、A Smile と結ばれている。

 

台湾でニュースを見ていると、何よりも交通事故のニュースが多いことにびっくりする。ここはなんと交通事故が多い場所なのだろうと思っていたが、毎日見ているうちに、そういうことではなく、これはみんなこの画面が見たいんじゃないか、台湾人というのはこういうのを何度も見ないと納得できないんじゃないか、と思うようになった。どうやらショッキングなシーンがあるものほどニュースになるようで、日本では免許更新の時に試験場の部屋の中で見させられるような、夜中に車が激しく衝突して逆さにひっくり返ったシーンや、右折するトラックにバイクが巻き込まれていくシーンなど、後ろの車のドライブレコーダーからもらった映像を編集しているのか、真後ろから撮ったであろう白黒の映像に、「ここに注目!」と訴える赤い矢印がピコンと現れ、特に目立ったところもない街中の道路の普通の車の、あと数秒後に事故にあうことになる人の真上を指して光っている。事故の瞬間の映像は何度もくり返され、その後インタビューされるのは目撃者ではなく、その矢印が指していた、包帯ぐるぐる巻きで車椅子に乗った人、病院の担架の上の人、もしくは泣き叫ぶその家族だ。インタビューから引き出されるのは不注意を反省する言葉ではなく、ただいつも通り生活していたのに、あの事故がいかに突然襲いかかってきて、いかに激しく、理不尽だったか、という言葉だ。毎日毎日交通事故というのはこんなにいくらでもあるのか、と毎日目を見張っているが、日本だって、ニューヨークだって、知らないだけで毎日毎日あるだろう。ごく普通に生活している人々の頭上に突然、あの赤い矢印がピコンピコンと降りてくることが。