わけがない

今日も暑い。室内は31度。雨が降らないので外は随分暑そう。窓辺にお香を焚いたら愛之助がなんだなんだとやって来て、においを嗅ごうとして近付いたら毛の先がちょっぴり燃えて、びっくりして逃げた。ケモノのにおい。私はアレルギーもちで、猫大好きないとこもアレルギーもちで、二人で廊下をはさんでそれぞれの部屋でくしゃみをし、鼻をかんでいる。でもこんなにかわいいものが私たちに悪いわけがないもんねえ。

 

「日本人なら蕎麦が食べられないわけがない」と言って、父がそばアレルギーの私を何度も蕎麦屋に連れて行ったことを思い出す。荻窪の本むら庵というお蕎麦屋さん。ここはちゃんとしたお蕎麦屋さんで、お店を入るとすぐのところに石臼があって、蕎麦粉から自分で作って打っている。そこまでするからにはきっと美味しいんだろう。最後に行った時、私は小学四年生だった。お店の人が出してくれたお茶を飲んで、なんとなく口の中がむにゃむにゃと気持ち悪くなったけど(そば茶だったのか)父にも母にもそのことは言わなかった。当時の母はまだ日本に来て2年で日本語も苦手で、今の母からは信じられないほど無口で、3人で出かけると、いつも父ばかり一人でベラベラと喋った。「こうやって喰うんだ」と父が見せるのと同じようにして蕎麦を食べると、みるみる喉の中が塞がってくるようなおかしな感じになって、私は「ちょっとトイレ行ってくる」と言って、トイレで休憩した。子どもの頃、トイレにいると妙に落ち着いて、私はトイレで長居するのが好きだった。便器に向かって食べたお蕎麦を少し吐き出してみると、ぬるぬるしていて喉にねばりつくようだった。もう何度か吐き出して、ぬるぬるしたものはもっと出てきて、もう吐ける蕎麦もないのに、ぬるぬるは止まらずにどんどん出てきた。とにかく大量に出るし、喉にへばりつくので、がんばって指を突っ込んでぬるぬるとねばねばを引っ張り出しては吐き出していると、様子を見に来た母がびっくりして、慌てて父に何か伝えに言った。出せるだけ出して洗面台で口をゆすぐと、けっこうすっきりした気分になった。席に戻ると、父が「お前デザート食べるか?」と聞いて、お、やった、と思ったが、いつの間にか母がものすごく怒っていて「私帰る」と席を立とうとした。母はあの頃よくそうやって突然帰ろうとすることがあって、そう言う時、父はいつも、あわてているのを隠すように笑い出して、「まあいいから、待てよ」とその場を取り繕おうとした。母の怒りがおさまらない時は、母は本当にそのまま一人で帰ってしまうか、時々父が「馬鹿野郎、いい加減にしろ」とテーブルを叩いて怒鳴り出して大げんかになることもあったが、この時は、父も母もさすがに私のことが心配だったのか、結局デザートなしで、お会計をして3人で大人しく家に帰った。帰り道は父だけ一人で前の方を歩いて、「私がトイレにいる間、お父さんになんて言ったの?」とこっそり母に聞くと、「娘が死にますって言った」と答えた。

 

あれがちゃんとした蕎麦を食べた最後の記憶で、それから少し後、給食のお蕎麦を残して担任の先生に無理やり食べさせられた小学六年生が死亡したという新聞記事を読んだ。父は私に何も言わなかったが、あれを最後に本むら庵へも行かなくなって、「日本人なら蕎麦が食べられないわけがない」とも言わなくなったから、娘は蕎麦を食べて死んだので日本人じゃありませんでした、というオチになったらさすがに洒落にならないし、悪趣味が過ぎると自分でも思ったんだろう。その後私たちは荻窪から引っ越して、私も入り口に石臼のあるお蕎麦屋さんには注意するようになったが、ニューヨークでSOHOを歩いていると、おしゃれなレストランに「HONMURA AN」と看板があるのを見かけた。もしやと思ったら、やはりあの荻窪の本むら庵がニューヨークに店を出していて、アーミッシュの作るソバ粉で蕎麦を打っているらしい。

 

今でも蕎麦は一応食べないようにしている。「どうしても食べたい時は、救急施設のある病院の中で食べてください」とアレルギー検査をしてくれたどこかの医者に言われたが、それから随分経ったし、いつだったか、久しぶりに日系の飛行機に乗ったら機内食で小さなカップにお蕎麦がちょこっと出てきて、隣の席の人に差し上げる前に、気になって匂いを嗅いでみた。どうせたかが機内食、これは蕎麦という名のニセモノ、蕎麦風味の細長いデンプンだろう、とたかをくくって食べてみると大正解。ぬるぬるもねばねばも呼吸困難もなく、無事に「蕎麦」を食べることができた。麺つゆとネギの味がした。

 

お蕎麦屋さんという場所は、どんなとこでも雰囲気がそれぞれによくて、夜中の富士そば、ライブ前に腹ごしらえに行く駅前のお蕎麦屋さん、家の近所のお蕎麦屋さん、海の近くでサーファーが若主人をしている少し洒落たお蕎麦屋さん、田舎の道沿いで車を止めて入るお蕎麦屋さん、どこも好きなので、さすがに一人で行くことはないけど、誰かがお蕎麦を食べたいと言えば私も一緒に入って、ビールとおつまみを頼んで適当にしているか、お腹が空いていれば天丼を頼み、お茶が出てきたらお水に変えてもらっている。そういえば台北にはお蕎麦屋さんがあるのかしら。お寿司屋さん、焼き鳥居酒屋、いわゆる居酒屋、鰻屋、とんかつ屋、鉄板焼き屋、焼肉屋、牛丼屋、モスバーガー、そんなのはよくあるけど、お蕎麦屋さんはまだ見かけていない。ちなみにうどんの方はというと、烏龍麵と呼ばれてこちらのいろんな麺に馴染んで夜市でもそこらへんの食堂でもよく売られている。「うどん」がこっちの人の耳には「ウーロン」と聞こえて、麺の太さ・柔らかさもなんだか気に入られたんだろう。

 

蕎麦が何も悪くないのと同じように、愛之助も何も悪くなくて、アレルギー源を除去するようにとどうせ誰かが知った顔で言うんだろうが、そんなの何もわかってない奴の戯言だよねえ、愛之助。クイックルワイパーの回数も増えたし、師大夜市でさっそくコロコロクリーナーを買ってきて、ベッドも毎日コロコロしている。コロコロは「優の生活大師」というブランドのもので、「さわやかな空間にかわって、/過敏源に離れる/アレルゲンの働きを抑える!」と、なんとも味わい深い日本語がパッケージに書いてあるのはグーグル翻訳かしら。 

 

愛之助は窓辺にごろんとして葉っぱが風に揺れるのを見ているのが好きみたい。そうこうしているうちにどこか向こうの方で鳥の声がして、時々こっちにまで飛んできて止まって、今日はついに、すぐそこの鉢でカノコバトが土の中からミミズを引っ張り出して食べているのを目撃して、愛之助は窓辺でぷるぷると身構えた。そろりそろり、ティッシュ入れの上に前足をついて立ち上がって、オコジョのように胴長になってびよーんと伸びて、目を丸くして見つめている。首をひょこひょこさせて土の中を突っつくハトにも興味があるし、そのくちばしの先でぷらぷらしているミミズにも興味がある。向こうではどこか景美のあたりで雨が降り出しているんだろうか、時々吹いてくる風と一緒にふわーっと雨の匂いがして、久しぶりに風の匂いを嗅いだ。