端午節

端午節を過ぎると暑くなる、とみんな言う。端午節の前日、台北は38.2度にもなって、これ以上どう暑くなるのかドキドキしていたが、曇ったりちょっと雨が降ったり、さっきもまた雷も鳴って雨が降り、暑いのに体が慣れてきたのもあって結構快適に過ごしている。体もだんだん元気になってきてる。

 

台北で端午節を迎えるのはずいぶん久しぶりで、ずいぶん久しぶりにちまきを食べる。うちの台所の裏のベランダで、おばたちといとこたちとみんなでちまきを作ったのが懐かしい。羅東の閩南人と結婚したおばあちゃんの妹ヤキユクイがそこの家で覚えた作り方が、おばからおばへと伝わって、ちまきを作る習慣などなかったタイヤルの我々も毎年作るようになった。なぜなら美味いのだ。おばたちはそれぞれ一人ずつ、豚肉、干ししいたけ、竹の皮、鴨の卵を塩漬けにした鹹蛋、ピーナッツ、もち米など、自分の担当する材料を人数分買って持ち寄る。一人当たりだいたい50個包むので、5人集まればちまき250個分の材料を買うことになり、ピンポンが鳴っては、重そうな袋を抱えたおばが入ってくるのが、いかにもこれから何かが始まりそうでワクワクした。ちまきは包む人によって、なんだか少し形が違うので、どのちまきを誰が包んだのか、だいたいわかる。きれいなちまき、不恰好なちまき、あるおばのちまきは、まるでそのおばの何かを象徴しているかのような妙に意味深な形をしていて、そこに置いてあるだけで、誰からともなくふつふつと笑いが込み上げてきて、「ちょっとあんた一体どんな手つきしてるのよ」「そのペロってなる手よ、それが変」「変じゃないよ、ほら、みんなと同じでしょ」と、おばがやはり少しペロっと変な手つきをする。一方、ちまき界のモデルのようなほれぼれする形をしたちまきを包むのは母の妹で、ただしこのおばは酒飲みで、途中、お酒が回ってきてくると皮と皮の間からもち米がこぼれきてぐしゃぐしゃになり、50個全て美しく包めたことはなかった。そんなおばたちも、今年は皆それぞれ、躁鬱、乳がん、糖尿、などと体調が悪く、一人のおばはいろいろあってちょうどこの端午節の週末、長年住んだ台北を離れて環山の家に帰ることになった。もう誰も集まろうとも、集まるのはやめようとも言い出さなかった。環山に帰ると言っても、その家はおばが環山の人と結婚したばかりの頃に数ヶ月住んだだけの家で、私たちの故郷の部落からは山を越えて車で数時間行かないと着かない遠くにある。おばの夫は亡くなってもう長く、齢七十を過ぎて、おばは誰もいない、何十年も住んでいない山奥の家にひとりで帰ることになり、いつもなら一緒にちまきを包んでいたはずだったおばたちみんなところに泣きながらのLINE電話があった。

 

金曜日、端午節の朝に母が市場へちまきを買いに行った。私はまだ顔面ヘルペスの回復途中で、傷口に汗が入ったり、市場の人ゴミでまた妙な菌が入ったりして悪化するといけないというので、せっかく台湾にいるのに私は役に立たないというわけで、愛之助と家で留守番。朝から太陽が出てよく晴れていたが、前の日より爽やかで、それでも母は大汗をかいて帰ってきて、そのままのびてしまいそうであわてて冷房をつけた。母によると東門市場はいつもよりさらにものすごい人、そのほぼ全員が絶対にちまきを買って帰らなくてはならないミッションがあるので、ちまきを売っている辺りには殺気が立ち込め、「あなたちゃんと前に進んでくれる?」と母は後ろから怒られ、必死にゲットしたちまきが満員電車のカバンのように人波にさらわれそうになるのを、なんとか手元にたぐり寄せて帰ってきた、と12個の戦利品を袋から出した。6個は客家のちまき、残り6個はキーツァンと呼ばれる黄色いぷるぷるとした具のないちまきだ。客家のちまきは最近日本でも売ってるような中華ちまきとはまた違って、もち米のところが白く、真ん中に大根の漬物などたっぷり具が入っている。キーツァンは具も味もなくて、冷やしてはちみつをつけて食べるのが美味しい。あんこ入りのもおいしいが、後ろの人の殺気にやられた母は買うのをあきらめたらしい。

 

近所の雑貨屋さんで紙銭とお菓子と飲み物を買い、市場で買ったフルーツ、ちまき、豚肉も一緒に供えて、ご先祖様に端午節の拜拜(パイパイ)をする。私が小さい頃はパイパイなんかしなかったけど、「私たちもカハツ(閩南人)の場所に住んでるんだから、カハツのガガ(しきたり)を見習うのがいい」と言って、母も最近はよく家でパイパイするようになった。寒い時のパイパイは、紙銭を燃やすとあったかくていいが、夏は炎が一層熱く、汗で眼鏡が滑り落ちそうになる。最近の紙銭は煙の立ちにくい環保(エコ仕様)のものが多く、雑貨屋さんではいつも環保をすすめられる。昔からの紙銭のザラザラした触った感触と違って少しつるつるして、よく燃えるように一枚一枚折って火にくべるのに、指が滑ってやりにくい。大小のお札を全て火の中に入れて、ひととおり燃えて炎が消えたら、燃えさしを棒でつついて、奥まで全部灰になるように、くすぶっているのをひっくり返して空気に触れさせると、焦げた紙銭にもう一度オレンジ色の炎がきらきらと輝き、そこにまたボッと火がついて燃え始めるのがとても美しい。美しいと感じる私は人間なんだなあと感じる。

 

台湾のお参りのいいのが、お供え物は、パイパイが済んだらすぐに下げて食べてOKというところだ。廟にお参りに行く人も、いろんな手順を踏んで念入りにパイパイをして、と思ったら、持ってきた袋を広げて立派なフルーツやお菓子をまたその中にしまって持ち帰る人が多い。端午節のお供えのちまき、果物、お菓子はそのまま母と私の朝・昼ごはんとおやつになった。小さい時は何個でも食べたかったちまきも、もち米を消化するのに時間がかかるようになったのか、一日一個、最大でも二個でもう満足だ。

 

環山に戻ったおばのことがずっと気になっている。台北に住んでいる間は数年に一度しか帰ってなかったおばの家は、部落の人たちに空家扱いされていたらしく、おばが帰ってみてわかったことには、酔っ払いたちの麻雀場所にされていた。荷物を持って台北からゆっくり環山に向かって、着いたらもう暗くなっていたので、部屋の中に散乱している酒瓶と積み上がっているゴミを脇によけて、とりあえずの寝る場所をつくってそこで一晩休んだと母のところに連絡があった。ちまきの作り方をヤキユクイから一番最初に教わったのはこのおばで、ちまき作り歴もおばたちの中では一番長く、一番手際がよく、私にもいつも包み方を教えてくれたが、うまく覚えられないまま終わった。おばたちの中で一番年上で、一番美しく、チャイナドレスを着てダンスホールで働いていた若い頃のおばの写真は、京劇の看板女優のような飛び抜けた存在感があって、その横に、おばに買ってもらったチャイナドレスを着たまだ10代前半の、女の子の顔をした母がいる。

 

買ってきたちまきは、おいしいけど母も私もあんまり手をつけていない。端午節の週末も終わったのに、まだ半分以上、冷蔵庫の中で眠っている。